ひらめきの先に・・・
ミーティングの直前まで考えていて、直前にひらめいたことは前回記事のとおり。結局、資料作成はできず、想いと言葉でシンプルにした。(またメモ的な感じで主観一辺倒です)
結果、今までにない手ごたえがあった。
端的に言えば、相手とのコミュニケーションに集中できたためだ。相手が言いたいことにうまく対応することで、相手の納得感を引き出すことができた。この意味では、「資料=自分が言いたいことの決め打ち」ともいえるし、フレーミングによって相手側に違和感を誘発する(腹落ちしない)リスクがあるという気づきを得た。
もっとも、相手が言いたいことにうまく対応できた前提として、「ひらめき」によって、わたしの脳内で必要事項が抽象的にも具体的にも説明できるレベルになっていたことが挙げられる。
さらには、相手が言いたいことの真意がつかめるようになっていたことも挙げられる。相手が言いたいことを見極めるのは結構難しい。これは、相手にもわたしにも、➀情報や能力の非対称性があり、②時間という制約があり、③認識能力の限界があるためだと考えている。➀と②は通常よく言われることなので省略、③はたとえば円柱を見る視点で形が変わるとかの話。
このように、同じものを見たり聞いたりしても、受け手によってその解釈が異なる可能性があることの一つの表れだと思う。錯視や錯覚はいくらでもある。立場というフィルターがあれば、ポジショントークという以前に、本気でそう考えている可能性がある。フィルターをバイアスと置き換えても良い。
お互いにフラットな状態にできたときに、初めて建設的な議論ができる。そうでなければ、各々自分の領域で建設しているようなものだから意味がない。今までは、自分が言いたいことを相手に「伝わる」ように、何をどのように伝えるか、に重点を置いていた(これ自体の重要性が低下するものではない)。その先に、「フラットな状態にする」という一つの解があった。これが今回限りの特別なものなのか、そうでないのかは分からない。
なぜ、「フラットな状態にする」ということが重要なんだろう。
フラットな状態にすることは、建設的な議論の土台をつくるというイメージに近い。あるいは、信頼関係を築いた状態か。感覚やイメージの共有といった方が適切かな。
フラットからスタートすることで、お互いになんらかの「気づき」が発生する可能性が高いと思われる。フラットから積み木のようなものを積み上げていく。すると、お互いの積み上げ方のクセが見えてくる。そのクセの本質は何なんだろう。お互いに今まで見えなかったものが見えてくる。これにより相互理解が一気に深まる。ここに最大のポイントがある(と今のわたしは考える)。
もっとも、フラットにすることは、ものすごく大変だった。何しろ時間がかかるのだ。自分の考え方をおよそフラットな状態といえるまで客観的に捉えたうえで、相手の考え方をフラットにする又は相手の考え方がフラットな状態ではないことを認識させなければならないからだ。進捗の観点からは前回も挙げた次の図のとおりだ。
今回はこれらがすべてうまくいった。わたしの「ひらめき」も重要な要因のひとつだが、相手が極めて優秀だったことも当然要因としてある(この意味では、優れたコミュニケーションの本質は共同アートのようなものなのかも、という感覚もある)。ビジネスシーンでは金銭的なモノサシが最重要であることは言うまでもないが、あくまで価値を測るためのモノサシ(手段)でしかない。提供できる価値にすべてを賭けた。モノサシはあとだ。
「ひらめき」の先にあったものは、「仕事へのわたしなりの答え」だった。
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