私の7年間のイジメ経験詳細(箇条書き)
はい。
では、今回・・・
ここからのイジメの内容を
今までの様に書いていきますと
恐らくお読みいただいている方に
「相当な不快感」と「恐怖」を感じさせてしまうので
箇条書きで書いていきます!
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【小学校3~6年生でのイジメの内容詳細】
・石投げつけられる
・体操服、捨てられる
・汚物扱い
・上靴に画鋲又はゴミ箱へ
・机の中にカビパン、蝙蝠の死骸
・虫、投げつけられる
・教科書やノート、クレヨンで落書き、チョークの粉まみれ
・無視
・机は離される(朝来たら廊下に出されている)
・掃除の時間、私の机を運ぶ人はいない
・カッターで切られる
・鉛筆で刺される
・授業中グループ作る必要があるときに入れてもらえない
・掃除は担当箇所を1人で
・同級生の遊ぶお金が足りない時に誘われる
・連絡網、たまにしか来ない
・発表、声を発するたび嫌な顔
・バスケなどのスポーツでは集中攻撃
(未だに足の子指の爪が割れたまま)
・ランドセル投げられる
など。こちら一例でございます。
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虫投げつけられるとか、蝙蝠の死骸とか
石投げつけられるなんてものは
虫取りしたり、トカゲや蝙蝠も手にのせれるくらいでしたし
石は投げられたら、倍の大きさと量を投げ返してましたし、
(10人が3個ずつ投げてくるなら、私は1人だから30個投げ返す!的な)
メンタル的に全然大したことなかったんですけどね。
正直、学校行きたくありませんでした。
相手するのは面倒ですし、
青母には
「もっと発表しなさい」、「積極的に成りなさい」
と言われているけれど、
手をあげてもさされないし
(私しか手をあげてない時しかさされません)
しゃべりだすと、騒がれましたし
心許せて話せる人が1人もいなかったので
当時は、疲れしかなかったんです。
しかし、青母は
「成績が良いわけではないのでせめて皆勤賞をとらないと!」
と言っていたので、
”ああそうか。休んだらがっかりさせるのか。”
その思いから、登校を続けていました。
そして、学校に行きたくなさすぎて
朝の集団登校に混ざりたくなくて
(混ざったら、他の学年にも私がイジメ対象だと知られるから)
毎日、学校に間に合うギリギリの時間に起きるようになりました。
毎日、遅刻ギリギリの姿に、家族は呆れ顔。
青母にも、青祖母にも、毎朝
「いい加減にしなさいよ」
と言われる始末。
仕方ありません。
私がイジメられていることなんて、知る由もないのですから。
きっと、今の私でも、知らなければ
「もういい加減、ちゃんと通学団で行きなさい!」
と言っていたことでしょう。
だから、青母や、青祖母の対応は
至極、自然なことでした。
次回は
「イジメを親に言わなかったら、こうなった」です。