雑記。
【まえがき】
私を完膚なきまでにボコボコにした様々な出来事がようやく落ち着きつつあるので宛のない近況報告としてこれを書いてみます。あと文字列として書き出すことで多少気持ちの整理も付くだろうという希望的観測もあります。
あと、この話は三十路手前のおっさんというかお兄さんというか、そういう人間がひたすらボコボコになっていく様子を記録しています。理解のある彼くんも彼女もどこにも出てきません。安心して読んでください。
なお、私に近しい人は大体の内容が分かるとは思いますが、特定を避けるため多少のフェイクも入れてあります。その点ご注意してお読みください。
【発端】
2月18日。
配偶者から離婚を切り出される。先からそういう話はあったのでまあそうだよな、という感じで受け止める。しかしながら会社でこの話をすることになり、びっくりするぐらいダメージを受けることになる。
【怖いことをいう人間もいる】
2月19日。
出勤して作業をしているとA上司とB上司がやってきた。この職場は上司が出てきたあたりで一度コーヒー休憩に入るのが習慣であった。コーヒーを淹れながら家庭の様子を聞かれたので離婚することになったこと、伴って出来たら少し休みが欲しいことを伝えた。ムナクソ悪いので思い出したくもないが上司の反応をざっくりまとめると以下のようになる。
・旦那に対する協力が足りない嫁は離婚してもしょうがない
・これで君も仕事に集中できてよかった
・さらにキャリアアップが見込めるんだからプラスにとらえなきゃ
・せっかくだからこの際大阪に引っ越して来たらいいじゃない
・年の近いC君(先輩である)も住んでるんだから人付き合いも困らない
・キャリアアップしていけばこの業界でいくらでも出会いなんかあるから
書き出してみて思ったが、どう考えても離婚決まりたての人間にかける言葉ではない。ここで前々からやめてやる、と思っていた気持ちがより強まったように思う。その翌日には完全にやめることを決意するわけだが。
【ひっくり返る】
2月20日。
既に去年のことのように思えるがLINEを遡ったら意外と最近だった。この日何をしていたかというと職場でひっくり返っていた。比喩でもなんでもなく、発送予定の商品を会社の倉庫から運んできて、送り状を取るために立ち上がったら世界がぐるりんと回転して、本当に倒れた。
倒れてしばらくそのままになっていたが、スマホがふるえたので、脳死で開いた。案の定slackの通知だった。商品を送るのに使った箱が、使ってはいけなかったらしく(この前にも似たような使い方をして報告したが特になにも言われなかった)たまたま商品を受け取った取引先がインスタで箱ごと紹介してくれたらしいのだが、それを見たB上司がもの凄い勢いでキレて「あの箱を商品発送に使うなんて!始末書を書け!!」だの「見てないとこんないい加減なことをするなんて信じられない」だの滅茶苦茶連投していた。ものすごく胃が痛くなって床に寝っ転がった。
寝っ転がってしばらくは仕事をなんとかしなければ、と思っていたのだが、よくよく考えたら「人間が倒れる」というのはただ事ではないよな…帰って病院行った方がいいよな…とかろうじて思った。これが幸いしてその場でA上司に電話を入れた。この時、「次回出勤はまた連絡します(連絡しない限り出勤はない)」というようなことをちゃんと言った。これが後々いい感じに作用した。
発送予定の商品だけむりくり発送したあと、帰る前にホットコーヒーでものむか、と思ってコーヒーを淹れていたのだが、そのときフト、「この際だから、辞めるか」と思って私物の器具とか全部通勤用のリュックサックに詰めた。辞める、という臍が決まってからはいくらか気が軽くなったのは覚えている。
あんまり覚えてないが、このあと阪急にのって帰った。
風呂と歯磨きだけしてすぐ寝たように思う。
【離婚】
2月22日。
仕事場で倒れた20日から2日後くらいに離婚届に署名した。(情けないことに本当になにも向き合えなかったが)まあそうなるよな…という感じだったので特筆する事はない。
【弁護士】
2月27日あたり。
離婚はなにも揉めなかったが会社とは若干揉めた。まず当時働いていた会社の上司は私が辞めたいというと話し合いの度に内容的にはほぼ同じ話を1時間でも2時間でも繰り返して、普段あれだけ人を怒鳴りつけているのにそのときに限って人を褒めたりして、なんとか辞めさせない方向へ持って行くのだった。要するに人の話を全く聞かずに自分たちの都合だけ話すという人種だった。
退職代行を使おうと思ったが、そのときの私はある事情があって、会社とある程度交渉をしてからやめないと個人的にエラいことになるという状態でもあったため、頭を悩ませていた。(退職代行は退職届の提出まではやってくれるが、なんらかの交渉を行うのは弁護士資格がないとやってはいけない)
とりあえずは休むか…と思って一週間くらいスマホも開かないつもりだった。だったのだが、1日おきに、やれ封筒に捺す納品請求書のハンコはどこだとか、やれあの商品はどうやって製造するんだとかslackが全く鳴りやまず、なんなら一週間目のある日、B上司から個人slackで「みんな心配してるぞ!((笑))こもってないで出てこいやー(笑)🔥🔥🔥」(嫌すぎてソラでも書けるぐらいこの一文は目に焼き付いた)という一文が送られてくるに至って私は全てがイヤになり、弁護士に依頼する決意をした。
幸い年齢の近い知り合いに労働問題に強い弁護士がいたので、引き受けてもらった。正規の料金をよく知らないがたぶんこれだいぶ安いのでは????と思う値段で引き受けてもらった。びっくりした。
打ち合わせをしてざっくり決めたのは
・退職届を内容証明郵便で送ること
・その他交渉事を処理していくこと
ということで、今現在に至るまで話は続いている。
【独りになる】
3月10日。
当然のことながら配偶者は出ていった。家には私一人になった。酒は飲めないがそれなりに荒れた。たとえ思うところがなくなった配偶者だったとしても、一軒家から人が一人出ていくとその分音も響けば、がらんとして寂しくなるものだ。3月の京都は一年のうちでおそらく一番寒く、そのこともあって、堪えた。生活を共にした人間がいなくなるとはどいうことか、身を以って体感した。
【引っ越し先を探す】
3月14日。
それはそれとして問題が一つあった。
引っ越しをしなければならないということである。この時の家はあと1月ほどで更新が近づいていたし、一人でここに住み続けるのは家賃もそれなりにした。この際なので心機一転もかねて引っ越しとした。不動産屋に電話して離婚することになったことを伝え(その後20秒は笑っていた)新しい入居先も同じ不動産屋でお願いした。
【荒れる、保険証がない】
3月15日~4月7日にかけて。
この辺あんまり記憶がない。すべてが曖昧である。朝に寝たり夜に起きたり、ものごっつ太った。あと様々な事情で保険証がなく、近代医療から切り離されて過ごしていた。本当にみじめな気持ちになった。皆さんはとりあえず診療を受ければあとから返ってくるとかいうだろうが、大学院修了からこの方私がかかっている心療内科というところの薬代は十割負担だとものすごく高価であり、一時的であれそれをしのぐだけの金銭的余力がなかったのである。そのような事情で心療内科にかかる薬の一切をなしで過ごさなければならなくなり、精神状態は急速に悪化した。ただこの辺で次の家を決めて引っ越しの大体の日取りを決めた記憶はある。4月の30日に完全退去、となった。
【事故】
4月8日。
この日はよく覚えている。友達とシン仮面ライダーの上映を見に行った。そのあと人に合う約束があり、待ち合わせ場所に向かっていた時、車に撥ねられた。幸いほぼ無傷だったが様々なものが損傷した。待ち合わせには遅れたし、心証を悪くした。
【通院とたけのこ医者】
4月19日。
そのあと当然のことながら通院すべきだったのだが、保険証が復活したのが18日のことだった。保険会社に事情を伝えて病院に行った。行ったのだがこの病院が良くなかった。
皆さんはヤブ医者という言葉をご存知だろうか。腕の悪い医者を指していう、まあ悪口である。語源は諸説あるが噺家の故二代目桂枝雀の枕によると、「大病なら皆さんご名医にかからはりますから腕の悪いお医者さんに用はないですね、せやけど風邪は誰でも大概ひきますし、昔の医学が発達してない頃の風邪なんかええかげんなもんで、診るふりしといて勝手に治ったりなんかもしますから「風(風邪)で方々に揺れ動くので藪の医者、ヤブ医者である」と申します。ほで、さらに腕が悪いとなると、「これから立派な藪に育っていこう、飛んでいこう」というのでたけのこ医者、スズメ医者などと申します」とのことである。
まあ、そういうことである。二条城の付近にある整形外科に行ったのだが、若干モーロクしてそうな老医が出てきた。診察用の鍼で左右の腕をつつくから、左を10としたときに右腕の感じ方を答えてくださいと言われた。言われながら思ったが、つつく鍼は何らかの器具に固定されているわけではない。先生が手にもってつつくのである。私は医学のことは素人なのであんまり言いたくはないが、手にもってつつくということは先生の手の加減一つであり、そんなもんで一体何がはかれるのであろう。何がはかれるのかなあ、と思いながらたぶん右腕が6ですかねえ、とあいまいに返事をした。なんかこう温熱波を照射する機械で首筋のあたりを温め、湿布と飲み薬をもらって帰った。
【引っ越しとコロナウィルス感染症のような、風邪】
4月25日。
老整形外科医をヤブだのたけのこだのとボロカスに行ったせいかなんなのか引っ越しまであと残り5日というところでびっくりするような風邪を引いた。久しぶりに熱が出て身動きも取れず、外に買い出しに行くのもつらけりゃ何を食べても味がわからない。独り暮らしの風邪はつらいと相場が決まっているが、物が移り切っていない新居で、必要なものも乏しく床に臥せる。割と本当に死ぬのでは(死んでない)と思った。
【引っ越し終了】
4月30日。
気合で引っ越しは終わらせた。ご協力いただいたみなさんありがとうございました。
【生き残る】
~現在6月18日。
正直に言うとびっくりするぐらいなんにもやる気がない。無為徒食、酔生夢死とはこのことである。なんにもしていないが祖母の遺産がそこそこあったのとウクライナの不幸に乗じた米ドル運用益のおかげで生き残っている。金と日光と飯、風呂、医療、生き残るには十分である。しかしながらTwitterとかSNSを眺めている時間が増えてとみに精神によくない気がする。あんまりよくないので避難的に実家に帰っている。20日には京都に帰るが、実家に帰ってごろごろしたらちょっと気持ちが前向きになった。部屋でも作っていこうと思う。
【追記、あるいは会社とのこと】
これに関しては双方弁護士をたててやり取りしているため、詳しいことはあんまり書けない。書ける範囲で書くと教訓めいてしまうが以下のようになる。
・ビックリするようなことをいう大人は案外いる。
・ある日突然「なかったこと」にされたりすることもある。
・契約書は時間をかけて確認のうえ紙ベースでもらえ。
本当はもっといっぱい言いたいことはあるが書けないことのほうが多い。救いがあるとすればいい方向に話し合いが進んでいるということである。
【最後に】
今回2月から現在に至るまでいろんなことがあり過ぎて、吐き出して整理するためにこれを書いたが、本当に生きているのが不思議だし、不思議もないといえば不思議もない。ただ前々段にも書いたが本当にやる気がないし、働きたくない。薬は再開しだして元の処方に落ち着くまであと数か月はかかるだろう。理解のある彼くんも彼女もいない。欲しいか?と知り合いに聞かれたが欲しい気もするし欲しくないような気もする。たぶん欲しくないと思う。すべてが虚無虚無している。大文字が見える六畳間がいつまでも片付かずに広がっている。知り合いのバーテンダーのお兄さんがいるのだがここまでに起きたことをこの間近況報告しに行ったら「おれも大概しんどかったんだけど君ほどではないからちょっと元気がでたよ」といわれた。これは本当に良かったと思う。嫌味でもなんでもなく。
とりあえず先のことはびっくりするぐらい未定であるが、やらなければならない社会的手続きがちょいちょいやってくるのでいやだけどちゃんとやっていこうと思う。なにより自殺してまで寿命よりはやく死ぬほどの度胸はない。知り合いに睡眠薬自殺失敗を去年の冬から3回くらいやっているやつがいるが大したもんだと思う。血が出そうなのも、薬で苦しそうな思いをするのも、そんなことをしないと死ねないくらいならズルズル生きていたほうがなんぼうかましである。そういうわけでおれをこんな目に遭わせたやつの不幸を聞いてにこにこしたいので今しばらく頑張って生きようと思う。
ここまで読んだ酔狂な人があるとも思えませんが、読んでくれた人はありがとうございました。酔狂ついでにおれの欲しいものリストからインターネット托鉢に協力するとおれが喜ぶのでよろしくお願いします。あなたには徳が積まれることでしょう。なむなむ。
それではまたいずれ。