遠くへ行きたい その8:トルコ編
――そんなにカメラが好きになったのか、アオトラマン。
はじめに
旅行がしたい。
昨今、ようやく忌々しい流行り病のニュースがそこまで大きく取りざたされてこなくなり、なんだったらマスクを着けて歩いている人の方がいないように思います。
とはいえ、引き続き読者諸兄諸姉には、安全に日々を過ごしていただきたく、日々の手洗いうがい等の基本動作の励行はもちろん、遊びに行って風邪ひいた、というのは本末転倒ですから、常に体調優先でいきましょう。
場所および経緯
今回はトルコの旅行記。
筆者は、幼少期に英国で過ごした後、中高で米国やら色々と転々としてしまったものの、最後には無事に大学へ入学しました。
そこでは色々な経験をしましたが、思い返せば人生で最も余暇の時間があったと思う頃で、それなりに青春(アオハル)を楽しんでいたように思います。
この頃からおそらくカメラに傾倒しはじめたのでしょう。バイトで手に入れた資金を元手に、様々なカメラを手に入れました。フィルム、デジタル、二眼、Blackbird,fly…今でも使っているのも、この頃手に入れた青春を捨てきれずにいる、大人と子供の挟間いる中途半端な人間であると自負しております。
敢えて狭間にいるからこそ見えることもある。そして同じくらい、色んな人と色んなところへ行ったと思います。
最近、情けないことですが、仕事に忙殺される日々を送っております。最近も最年少昇格とかいうテイで、どんどん業務が増え…という中、ふと平日の夜中に昔のデータの入ったHDDを整理してみました。
たまたま机の上にあったHDD。埃もうっすら被って、まだ生きているのかなという心配と、まあ気分転換にちょうどいいや、と思い立ち、同じく机の中に入れっぱなしのぼんやり絡まったコードを引っ張り出し、PCに接続。あ、そういえばこんなところ行ったっけなあ…とか、あぁ…アイツら、あの子、どうしてるかな…なんて感傷に浸っていた。
その中で、目を引いたのが、まさしく大学最後の旅行で、そして人生で最も家を空けた旅行であった、トルコ旅行の時のフォルダでした。
思い返してみる。たしかあの時は、ゼミの男女四人の仲いいグループで、「そういえば冬に中東行ってみない?比較的安全なトルコ!」という声があって、「あ、青狐はカメラマンで来てくれんでしょ?つか来いよ」という苦手な陽キャノリがあったので、「えぇ…まあいいけど」とかいうクソみたいな返事をしてしてました。
ナナメに構えてしまったのは、なんとなく照れくさい気持ちと、個人的にも、色んな景色やモノを撮影するのはいい機会だし、という真面目な思い、そして何よりみんなと仲良く旅ができるのもこれが最後なんだなぁというセンチな気持ちがあったからだと、そんな心持ちで参加したのは今でも覚えています。
もっと素直になっていればよかったなぁ。
旅程
全部で8泊10日。
当時の記憶があやふやなので、とりあえず覚えていることだけを記述します。
たしか旅の記録によれば、以下の通り。
1-4日目 日本~カッパドキア
4-5日目 カッパドキア~イスタンブール
5日目 イスタンブール~パムッカレ~イスタンブール
6-8日目 イスタンブール~日本
結構弾丸的な要素もあったし、途中いきなり予定変更なんかもあったのは覚えていますが、具体的にどう変化したのかはもう覚えてません。ただこんな感じでした。
アクセス
日本からたしかイスタンブール付近の空港までで9時間くらい、そこから国内線に乗り2時間くらいでカッパドキア最寄りの飛行場へ着いた記憶があります。
また、当時から非常に品質の高いサービスをするターキッシュエアラインズに搭乗しており、中のおねいさんやらおにいさんやらの美顔たるや!そしてメシのうまさ!…なんてことを考えていたら意外と空の旅は短かったです。
使用機材
この旅ではK-x+FALimited 31mmをチョイス。
前も紹介したかもしれませんが、この頃FA31mmを手に入れ、有頂天でした。残念ながらボディは、当時一番安かった、保有している中で唯一のデジタル一眼でしたが、今になってみれば、そんなに遜色ないデータで保存できていたし、何より途中電池が切れても単三電池なのですぐに手に入れられるというのはとても大きかったわけで。
なお、同行した友人たちは、「なにこれズームできないじゃん!」とブーブー文句言っていたけど、単焦点の良さを説いてなんとか納得してもらえました。
記録
カッパドキア
まずは、カッパドキアという街で滞在した時の記録を。この町は、世界的にも有名な、岩の町として知られております。
この町は、人もそこまで多い、という印象はありませんでした。ホテルも岩をくりぬいたホテル、ということで、街外れにあるホテルを選んだのですが、いかんせんアクセスが悪く、市街地まで徒歩40分というアクセス。日本では決して見ることのできない被写体が多くそこにはありました。
当時の気持ちとしては、歴史的な背景はもとより、岩をくりぬいてそこに住む、という発想がこんな21世紀まで残り続けるのは本当に驚嘆、というか素直にすごいと思ってしまった。おそらく筆者には一生無理でしょう。歴史は重いですね。
パムッカレ
続いてイスタンブール…の次のパムッカレ。ここは、ご多聞に漏れず石灰棚が有名です。
足元は白いせいで冷たいように見えるのですが、実は足元は常に温泉が流れており、これがなんとも気持ちがよかったです。常にぬるま湯が足元にあるので、歩く分には全然問題ありません。ただし、カメラを持っての移動は、結構すべるので本当に神経を使いました。
イスタンブール
最後にイスタンブールの風景を紹介。
イスタンブールは、月並みですがアジアとヨーロッパの挟間にあるのでとても不思議な街でした。
新市街と旧市街に分かれており、基本的に新市街のほうが日本にもあるようなお店が立ち並ぶ一方、旧市街はモスクや教会等、歴史的な建造物が多く立ち並んでおりました。ここからは私見ですが、トルコっぽさを味わうなら断然旧市街かと。
とくに筆者はアサシンクリードシリーズが好きで、当時もリベレーション(エツィオサーガの最終章!)をプレイしており、アヤソフィアを見た時はさながら小学生のように「あ!これゲームで見たことある!」と心の中の光の国の戦士が叫んでいた。
ここからはおまけのコーナー。
トルコはとにかくメシウマ大国。ご存じの通り、世界三大料理にもピックアップされるほど。この時は、FA31mmということもあり、それなりに寄れるかつ明るいレンズだったので、暗い場面もバッチリ撮れました。
鯖サンド
イスタンブールで有名なサバサンド販売店舗。なんと船の上で作っています。写真では伝わらないですが、混雑度を船の揺れで表現しており、大きく深く揺れているほど長蛇の列ができている、というものでした。
なんとか混雑を抜け、手に入れたのがこのサバサンド。正直、それまで鯖って日本でも積極的に食べない魚だったので、友人から絶対食べたい、と出発前に言われたときは気が進みませんでした。
ですが、これを食べて世界が変わりました。味付けはレモンしかないのに、しっかり魚の脂が具材に染みており、噛めば噛むほど美味しい脂が口内で溶けるではありませんか。あっという間に食べてしまったのは友人達からもよく言われていました。余談ですが、それ以降、日本でも寿司を頼むときはシメサバを頼むようになりました。酒を飲むようになったから?まあそれもあるとは思いますが。
ケバブ
トルコといえばケバブ。あえて多くは語りませんが、とにかく食べ応え満点。日本でも食べられますが、どうやら現地はこんな風にパーティ形式で食べ、飲み、語らうのが一般的でした。ちなみに、トルコのレストランではあまり酒を飲んでいる人はいなかったです。代わりに皆チャイを飲んでました。
おわりに
今回は短め。もう数年前のことだから、どんな話をしながら歩いたか、とかいうのはもう残念ながら覚えていません。でも確かにそこにいたわけです。カメラを通して記録済みですから。みんな元気でいるのかなという郷愁を胸に、今回は執筆したので、多分そんなに面白くないのはご容赦。
でも振り返ってみれば、この頃はそれこそカメラ本格的にやり始めた頃で、なんだか全体的に構図もピントも悪く言えばシロート感が強い。でもあの頃、つまり買ったばかりの機材を試行錯誤しながら使うあの頃って、なんとなく後から見返す面白い写真ばかり撮っているんですよね。
恥ずかしいかな、あえて斜めに撮った構図だの、みんなの変顔だの。もちろんここにはそんなの恥ずかしくて上げられない。けれど、いつも輝いていたね、少年のまま、瞳はマイフレンドって感じです。
スラムダンクはいいぞ。
この旅の後、一緒に行ってくれた仲間へデータや動画等作ってプレゼントしたのもいい思い出です。そこからめちゃくちゃ喜んでくれた友人たちがいたから、カメラにドはまりしたんだったなぁ。これまた月並みですけど、写真を見てくれて、そして喜んでくれる人がいるから写真って、カメラってやめられないんですよね。
フォトウォークにフォトトリップ。筆者の好きな言葉です。
…でも筆者はティガ世代です。
今回は以上!
ご意見・ご感想等あれば、是非筆者まで…。
画を写さんと欲すれば、まず旅をせよ。
どうかよいカメラライフでありますように。