2020年末、真冬、六本木。あるいは舞台に通う原動力について。
『朝彦と夜彦1987』の話をするのは(少なくとも今回の再演では)この記事が最後になります。
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3年前の話をしよう。
あの日わたしは稲垣成弥さんのとんでもない怪演を見た。
役に入り込むなんてものではない。激昂するシーンで朗読劇の台本を叩き落とした後、そのまま10分くらい続く夜彦の語りのシーンをやり切った姿が目の奥にこびり付いて離れない。
よく観劇仲間と話すことがある。「なぜ我々は同じ作品を何度も繰り返し見てしまうんだろう」、「なぜ舞台に通ってしまうのだろう」、と。筋書きが変わるわけではない。氷帝はこれからもずっと青学に勝つことはできないし、立海が3連覇することもありえない。
そうと分かっていながら、それでも私たちは劇場へ足を運ぶことを止められない。
それはきっと奇跡を渇望しているからだ。
「ああ、これを見るためにわたしは舞台を見てきたのだ」と思うような瞬間に誰しもきっと一度は立ち会う。それを逃さないために私たちは舞台を見ている。
3年と少し前にわたしが受けた衝撃はまさにその奇跡そのものだった。
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終演後、当時の同担の友達とカフェに入った。すごかったね、とため息をつきながら、プリンを食べた。
今回、朝夜が再演されて幕が降りたあと、なんとはなしにまたあのカフェに行きたくなった。わたしはいそいで彼女との当時のDMを掘り起こしてカフェの名前を特定し、無事にあの時と同じプリンを口にすることができた。
そのあと、2020年に朝夜が上演されたトリコロールシアターにも足を運んだ。劇場の前で、今回の全キャスト制覇特典の写真を撮った。
前回はコロナ禍でグッズとかなになかったから、今回はそれがあって嬉しかった。と同時に、あの時ただ劇場の外観だけの写真しか撮れなかったのがずっと心残りだった。
2020と2024とではロゴが違う。前回は正方形の中に装甲明朝で1文字ずつタイトルが収められていた。今回はちょっとシュッとしたフォントになった。違うけれど、作品の魂みたいなやつとか私が好きなところとかはきっと一緒だ。
この写真を撮ることで、ようやくわたしの2020年の現場のまとめが終わったような気がした。
そしてきっとn年後に再演される時も、わたしは六本木に行ってしまうんだろうなあ。