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今話題の「ゾス!」という働き方を現役大学生が分析する

皆さん、こんばんわ蒼葉レイです。

普段は大学生の視点でお話するZ世代のSNS事情や不登校を経験した自分だから話せる教育やメンタルの話を発信しています。

今日は、ビジネス業界で何かと話題の「ゾス!」という挨拶と意味とそんな働き方の真意についてお話してみます。


「ゾス」ってどんな意味?

「ゾス!」とは、「押忍(オス)!」に近い意味で、熱のこもった「了解です!」を意味する言葉です。

これは山本康二さんが広めた言葉とされています。

山本康二氏は、日本の実業家でグローバルパートナーズ株式会社代表。光通信で取締役を歴任後、アリババと連携し日本企業の海外進出支援を推進。教育や若手起業家育成にも注力し、幅広い分野で活躍。

ChatGPT

因みに私は山本さんとX上で、相互フォローさせて頂いています。

ゾスを解説した動画


「ゾスな」働き方をどう考えるのか?

そもそも考えようとしている時点で、「ゾス!」の真意を理解していないようにも思いますが、敢えて分析すれば、「ここ数年のホワイト社会」に対するカウンターカルチャーだと思います。

ハラスメント対策は、これまで虐げられていた人々に耳を傾けるようになったポジティブな側面と同時に、過剰に人に気を遣い過ぎて、「言うべきことを言えない風潮」もあるのではないかという指摘があります。

昨今話題の「ポリコレ」に対する不満もこれに近いものがあります。

ポリコレ(ポリティカルコレクトネス)とは、人種や性別、年齢、障害の有無などによる差別や偏見のない表現や社会制度を心がけようとする考え方、またはそのための対策を指します。

・職業の名称の変更(看護婦→看護師、保母→保育士、スチュワーデス→客室乗務員など)
・制服の選択制の導入(男性はズボン、女性はスカートなど)

ポリコレに対する不満意見(自分の意見を代弁したものではありません)
・ゲームやアニメなどのコンテンツにおいて、登場人物の性別や容姿が過度に均一化される
・ポリコレを理由に、特定の表現や言葉を一律に規制する
・映画を作成する際に、原作と乖離した演出やキャストが採用される


山本さんの主張としては、「昭和みたいな働き方もアリだよね」という視点の元、ここ数年のホワイト化の末に失われた価値観の見直しを提唱しています。

確かに日本の労働者の時間は年々低下していて、世界の主要先進国でもそこまで高い水準ではなく、「勤勉な日本人」というイメージは、もはや実態ではないかもしれません。

また、日本の熊本に工場を建設した台湾のTSMCの幹部も「日本人は想定よりも働かない」と話しています。

その上で日本人の生産性は主要先進国と比較しても高くはありません。

そう考えると、「生産性が低い国の労働者が労働時間を減らして衰退が加速している」というのは、ある意味で間違ってないかもしれません。


しかし、哲学的に考えると、「人はそこまで働かなくてはならないのか」という考えもありますし、「AIが自動化してくれるようになる」みたいな希望的観測もあります。

更に、働き方改革やハラスメント対策が強化された事で、これまで正当化されてきた「社会的な立場の不均衡を利用した理不尽」が減少したことや「生産性向上」を促した側面もあるでしょう。

但し、間違いないことは、「人には役割が必要で、人生には熱が必要だ」ということだと思います。

全体への貢献と強烈な個性は共存するのか

アメリカでは、強権的なリーダーシップを持ったトランプ次期大統領とイーロン・マスク氏のコンビが注目されています。

このコンビは、上手くいけば同じ熱量を持った最高のコンビかもしれないし、強烈な個性はぶつかり合って瓦解する可能性もあります。

「ゾス!」を広めた光通信社では、こんな社訓があるようです。

光通信社訓
一つ、我々は常にロマンと美学を持って行動すべし
一つ、我々は常に謙虚で素直な気持ちを持って行動すべし
一つ、我々は常に全体の調和を考えて行動すべし
一つ、我々は常に真のエネルギーを持って目的の為に純粋な行動を取るべし
一つ、我々は常に不可能の向こうに可能が、あきらめの向こうに成功があることを信じて行動すべし

このように見てみると、「言っていることは間違っていない」という印象を受けました。

ただ、「全体の調和」というのは、少し怖く感じる表現でもあります。

「自分らしさ」と全体の調和とは、両立し得るものなのかというのは、一つの大きなテーマです。

しかし、いきなり「自分らしさ」に囚われるリスクもあります。

若い段階で、「自分はこれしかやらない」や「これが自分の人生だ」と絞るのは、人生の選択肢を狭めるかもしれません。

また、あくまで絶対的な上下関係の服従だけでなく、下から上に意見を突き上げることは否定していない様です。

ここで、電通の「鬼十則」と呼ばれる社訓も載せておきます。

1.仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2.仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3.大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4.難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5.取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6.周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7.計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8.自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9.頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10.摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

引用元 

仕事は、誰のためにするのか

少し哲学的なテーマですが、以下の記事を読んでみると、山本さんの他の側面も見えてきます。

確かに昭和という時代において、多くの人々が「家族のため」や「日本を再び成長させる」という気概のもとに、必死に働いたからこそ豊かになったというのも事実です。

この記事は、「自分は何のために働くのか」を考える一助になるかもしれません。


他人に強要するものではないが、ゾスな働き方もある

人は「人から言われた面倒くさい仕事を課されるのは嫌ですが、自分が無意識で意欲的に続けられる仕事なら、毎日10時間働けます」。

例えば、私のSNS発信などは、誰に言われた訳でもないのに、ずっと続けられるし、ここで稼ぐための努力は、そこまで自分にとっての負担にはなりません。

周りに「もっと休んだら?」と言われても続けるでしょう。

「ゾスな」働き方も本質は同じです。

「バリバリ働きたい!」と主張する人にまで、「そんなに働くな!」というのは違うし、体育会系のノリが合っている人もいます。

勿論、著しい暴力的行為や人権を無視した行動は認められません。


その上で「皆んながゾスな働き方をすべき」だとは思いませんが、ゾスな働き方をさせることを前もって主張していて、それについていける体力とメンタルがある持ち主なら良いのかなと思いました。

実際には、「属性ごとの棲み分け」が大切なんだろうと思います。

お互いに寛容に生きてゆきたいものです。

皆さんはどう思いますか?

今日も最後までお読み頂きありがとうございました。

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