あなたが遠くで泣いている時、何ができるというのだろう (宗安小歌集1)
「死なばや いや又死なじ 逢うこともあり」(宗安小歌集)
ひとたび人を好きになってしまうと、いつも一緒にいたい、その人のことをすべて知りたい、その人のためになることならなんでもしたい。
そう想うことは当然の心理。そしてその想いがやるせないほどに叶わないからこそ、またその想いは一層強まる。
会いたくても会えない。
そんな環境は恋人同士にはいくらでも起こりうる。
特に自分が寂しい時、つらい時、さらにその人への想いは増幅し、夜も眠れなくなることもあるくらいつらいこと。
そしてさらに、想い人が、今とてもつらい状況、悲しい状況にあり、一人、死にたいほどに涙を流していることを知ってしまった時。
あるいは心や体の病いとなってふせってしまったことを知った時。
大好きな人がつらい想いをしているのに、自分は遠くにいて、
あるいは環境的にも会いに行ってあげることができない。
叶うことなら、今の自分の置かれた環境はすべてかなぐり捨てて、駆けつけてあげたいのに。しかし、駆けつけたとしても、想い人は、家を出てくることが出来ない。
こんな時は何をしたらいい。どうしたらいい。
ただ、何もできず、想いを空に飛ばすしかないのだろうか。
夜空にこの腕だけでも飛ばし、泣いているあなたを抱きしめてあげたい。
古典では、こんな時、生霊になって、空を飛び、想い人のところに掛け付けるという話があったような。
我々は、様々な情報伝達手段、交通手段を手に入れた代わりに、我々はこんな精神を飛ばす能力を失ってしまったのかもしれません。
でもきっと願えば奇跡は起きるだろう。あなたの想い人があなたを助けにきっとやってくる。
「死なばや いや又死なじ 逢うこともあり」(宗安小歌集)
いっそ死んでしまいたいほどつらいの。いや、だめ。あなたにまた逢えるのだから、死んではだめなんだわ。
恋は、そう、生きる力を与える魔法も持っている。