不動の感動
感動とは、
文字通り、心が感じて大きく動くこと。
感動すると、
その動きで心が胸の奥に、
本当にあることがよくわかる。
ドキンとはねたり、じんとしたり、
ぐらぐらしたり、ゆらゆらしたり、
まことに心というものは落ち着かず、厄介。
けれど、心を動かす体験を幼いときからどれだけしてきたかが、
その人の感性を形作っている。
そして大人になるにつれて、
心を動かす機会は少なくなっていくもの。
かつてはあれほどときめいたことに、
今は落ち着いて体験できるようになってしまっている。
心が感じて動くのが感動なら、
体が感じて動くことも感動といえるはず。
じわじわ触られたり、ぐらぐら揺らされたり、
どんどん跳ねたり、ぶるぶる震えたり、
まことに男女の交わりにおける体も、
また落ち着かず厄介なもの。
体を動かされることがどれほどの悦びをもたらし、
ひいてはそれが心の動きにも共鳴していくことを知っているなら、
その男と女の感性もぐっと深いものになっているはず。
少年少女の時の感動は大人になったら薄くなってしまっても、
諸体験の感動ももうずっと昔のことになっても、
こうして今でも、
体を揺らしあい、
心を揺らしあい、
共に体も心も感動しあえるなら、
その男と女の関係は、
不動のものとなるだろう。