恋は人を天邪鬼にする (閑吟集15)
「あまり言葉のかけたさに あれ見さいなう 空行く雲の早さよ」
恋と言うものが厄介なのは、その心になんとも複雑な影響をもたらし、奇妙な行動を取らせてしまうから。
たとえばまだ幼い恋の場合、町で好きな人に偶然出会ったとして、心の中ではこの千載一遇の機会をものにしてぐっと仲良くなりたいと思っているのに、心臓ばかりが高鳴ってろくに挨拶も出来ずに、すごすごと逃げ帰るように。
そんな不思議な反作用は、年齢を経ていくつかの恋を経験してきた後であっても変わることなく、
好きな人に対して、わざわざ冷たい仕草をする、
愛の言葉を語りたいのに、憎まれ口をきいてしまう、
時候の挨拶のような、無難な言葉で逃げてしまう。
恋をすることで、人は臆病となり、ある面、博打的な心理となり、大きな負けをするのを恐れて、大胆な行動に出られない。
「あまり言葉のかけたさに あれ見さいなう 空行く雲の早さよ」(閑吟集)
想い人に我慢できないほどに声をかけたい、好きだと言いたい。
そして勇気をもって、言葉をかけたのに。
「ほら見てごらんなさい、空行く雲の流れの早いこと」
などと、他愛もないことを話してしまった。
恋は人を天邪鬼(あまのじゃく)にしてしまう。
本当は抱かれたいのに、「抱いて」と言えない。
お互いにキスを望んでいるのに、行動にどちらも出せない。
好きな人に見つめられて「蛇ににらまれた蛙」になってしまうこともあるだろう。
恋とはかくも厄介なもの。
男と女が、本当に素直になれるのは、
情事の真っ最中だけなのかもしれない。