別れ際の後ろ姿を目で追って (閑吟集27)
「後影を見んとすれば 霧がなう 朝霧が」(閑吟集)
逢瀬の時間が短くても長くても、その時間が終わる一瞬というものは切ないもの。
たとえ一夜たっぷりと時間を共に過ごし、
溢れるばかりの言葉と、体の隅々まで確かめ合うような情交を交わし、心身ともに満たされたとしても、やはり別れの時間はあまりにもやるせなきもの。
少ししか会えなかった時は、蜉蝣のような時間の儚さを感じ、
たっぷりと逢えた時には、その溢れる時間の速さの儚さに驚き、満たされたがゆえに、かえって別れが切なくなる。
なんとも恋に落ちた男と女の心理はわがままなものか。
それまでどんなにくっついていても、手を握っていても、
いよいよ別の道に行かなければならない時、
あるいは相手の住まいから出て行かなければならない時、
一瞬にしてその姿は消え、存在しなかったかのようにその愛しき姿は消えていってしまう。
街角を曲がって雑踏に消えていく姿、
改札を抜けてホームに消えてゆく姿、
電車に乗って遠ざかる姿、
部屋を出て扉が閉まる瞬間、
車が角を曲がっていく時。
もうすこしフェードアウトのような余韻が欲しいと思うくらいに、突然にその逢瀬の時間は終わってしまう。
そのわずかなフェードアウトする瞬間ですら、
想い人の後ろ姿を邪魔する通行人や車の影。
「後影を見んとすれば 霧がなう 朝霧が」(閑吟集)
去っていくあなたの後姿を見ていたいと思っているのに、
ああ、霧が、朝霧がかかってしまう。
一夜を共にした男が立ち去っていくのを見つめる女の情景とその未練が伝わってくる。
そんな風に背中を見つめられていたら、その視線は背中に刺さってくるように感じることだろう。
その痛いほどの視線を感じ、朝霧(雑踏)の中から、
想い人がふっと振り返り、手を振ってくれたなら、再び会えるときまでの我慢をする力をもらえるような気持ちになれるから不思議。
去っていく想い人の背中を見送る時。
その時が一番、その想い人への気持ちの深さを実感できる時。