恋の重荷 (閑吟集11)
「恋風が 来ては袂に掻い縺れてなう 袖の重さよ 恋風は重いものかな」(閑吟集)
恋というものはとっても甘美で、心が潤うものであり、人間の感情の中でも最も素晴らしいことは誰もが否定しない。
しかしこの恋という果実は、甘く、蕩けるような美味でありながら、その副作用は強力であり、時には恋のために病に倒れることもある厄介なもの。
しかし、その病には、想い人のやさしい言葉、笑顔、ぬくもりという特効薬があり、それだけでそれまでの病など、嘘のように消えさり、元気になれるという単純さもある。
そしてその治療には処方箋はなく、その時々で治療法は変わるという面もある。
恋の病はどんな名医も治せない。
その症状のひとつに、心が不思議なほどに重くなること。
ずっと心の中に想いが密かにたたずみ、ずっしりとその存在感を鼓舞してくる。
時にはその重さに立ち上がることが出来なくなることもあるほどに。
恋とは天にも昇る羽を与えてくれると思えば、立ち上がることも出来ないほどの重荷となるのだが、たとえどのような重荷であろうともあえて持つ覚悟ができることもある。
想い人のためになら、何でもできる。そんな執念も同時に恋は与えてくれる。
しかし、その重さが時に相手に煩わしさを感じさせてしまうことも。
「恋風が 来ては袂に掻い縺れてなう 袖の重さよ 恋風は重いものかな」(閑吟集)
恋の風が吹いてきてこのたもとにもつれて重くなるのです。この袖が重くて重くて。
恋の風とはまあ、なんと重いものだろう。想い人というくらいだから。
されど、その重さ。つまるところ存在感。
相手からの重い、自分からの重い。
やじろべえのように、ぐらぐらり、ゆらゆらり。
しかし恋の風にそよぎながら、落ちそうで落ちないままにいられるのは、しっかりとした重さがあるからこそ。
参考
世阿弥作 謡曲「恋重荷」あらすじ
庭守の老人に懸想された女が、それをあきらめさせるため、綺麗な錦で包まれた重荷を持っている間だけ、自分の姿を見せることを伝えた。その重荷は到底老人には持てる重さではないのだが、老人はその女への想いを叶えるため持とうとする。
しかし結局、その重さに耐え切れず、老人はつぶれて死んでしまう。
亡霊となった老人は、最初はその女に恨みを抱いたが、やがてはその女を守り続ける存在としてそばにい続けるようになる。
(この謡曲をモチーフに、三島由紀夫も同名の短編小説を書いている)