恋は曲者 (閑吟集26)
「来し方より 今の世までも 絶えせぬものは 恋といへる曲者」(閑吟集)
結婚相手としての条件としてよく言われるのは、
一番は性格、価値観の一致であり、その次に容姿や経済力とされる。
どんなに好きな人でも、理想的な人であっても、結婚は契約であり、長い人生を共有する相手の選択だから、特に女性にとっては重要な決断となるもの。
だから好きだとか理想的な男性という熱情だけで決めることは危険で、その熱情が覚めた時、すべてが逆風になってしまったなどということは、少なからずある。
しかし、恋というものは曲者。
一度深い恋に落ちてしまえば、その人のためなら、どんな逆境も、苦しみも、甘んじて受けることが出来ると想ってしまう。
特に順風満帆な恋愛よりも、障害が多い状況における恋のほうがその心理を増幅することになったりもする。
たとえばもしいつも会える環境の恋人であったら、いつしかその恋も冷め、別れていたかもしれないけれども、会えない時間が長くなったことで、その逆境が逆に思いを膨らませていくことがあるように。
恋というものが時に残酷なのは、二人の想いだけでその恋の行く末が決まるものではなく、二人の環境、生活、環境などによって左右されていくものだから。
結婚という恋の成就のもっとも理想的なかたちであっても、幸せになる夫婦もあれば、破局する夫婦もあるように。
そしてお互いに惹かれあい、会いたいと思っているのに、そして会える時間もあるのに、深い淵に落ち込んでいくことを恐れ、会うことをためらったりもする。
恋は曲者。
その曲者に男と女はいつも振り回わされているのだ。いつの時代も。
「来し方より 今の世までも 絶えせぬものは 恋といへる曲者
げに恋は曲者 曲者かな 身はさらさらさら さらさらさら 更に恋こそ寝られね」(閑吟集)
この身はさらさらさら。
まさに曲者の恋の仕業で、わが身はさらさらさらと流されて眠れない夜をすごすばかり。
しかし、このさらさらさら、と流れに身をまかせることも、心地よかったりもする。
恋は曲者。くせもの。
くせになるもの。