あなたにふさわしい女になりたい (閑吟集9)
「申したやなう 申したやなう 身が身であらうには、申したやなう」 (閑吟集)
自分の恋人があまりにも理想的で、完璧であった場合、こんな素晴らしい人に比べたら自分がとっても小さく見えてしまうという心理も働く。
恋人から見ればそんなに買いかぶらなくてもいいのにと思うだろうが、人物評価というものは万人からの絶対評価ではなく、自分だけがわかる好みと価値観を秤にした相対評価なのだから。
自分にとって素晴らしき人であれば、他人がそうは思わなくても関係ないこと。
むしろ万人が素敵と想うタイプよりも、自分だけがその人の魅力を発見したと思ったほうが、もっと深みにはまるのだろう。
そしてそんな素晴らしい人と恋に落ちた時、今度は自分が逆につたない存在に見えてしまい、どうしてこんな素敵な人が私を好きになってくれたのだろうと思ってしまう。
自分なんか美人じゃないし、スタイルだってたいしたことないし、女としての魅力だってもっといい女はこの世にたくさんいるのに。
自分の弱点を数えだしたら、よくぞこんなにたくさん出せるものだろうと思えるほどで、それを必要もないのに心の中で集めてしまい、さらに劣等感に落ち込んでしまったりもする。
そして、恋人がこんなに素敵な人だから、いつ何時、自分よりも素敵な人が現れて奪い取られるのではないかという不安にもかられてしまう。
もっと自信を持って自分の魅力を表現して、それを褒めてもらって、そしてさらに素敵な人間に成長したい。そう想っているのに。
その表現ができない。
恋というものは時に必要以上に自分を卑下してしまうという厄介な副作用ももたらすものなのだ。
「申したやなう 申したやなう 身が身であらうには、申したやなう」 (閑吟集)
あなたにもっと語りかけたい、話がしたい。わが身がもっとあなたにふさわしいものであるならば、もっと語りかけることができるのに。
女の切ない気持ちがにじみ出る。
自信を持つ。それは難しいこと。
卑下する。これもやめるのも難しい。
しかし恋人はあなたのそんな自信のないところが好きなのかもしれず。
それを直してしまったら、時として逆効果。
私はあなたが、自信がないといっているところが好きです。
そう思ってくれていると信じていればいい。