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ボールの行方

壁に向かってひとりでボールを蹴る。
うまく行くと的に当たる、しかも反動でこちらに
リバウンドして来てくれる。
拾いに行く煩わしさが省けた。
的に見事当てた手応え。
充足感、達成感。
仮に的から外れてしまったとしよう。
ボールはあらぬ方角にころがってゆく。
自分で追いかけて収拾しないとどこまでも転げてゆく。
人との向き合い方も似ているのではないか。
的外れだと、意図せぬ事態を招き、回収するのに
面倒くさいことになるだろう。
でも、百発百中、的のど真ん中に的中するとは
パリオリンピックの射的で某国のスナイパー並みの
選手が見せた強靭な集中力が常に必要ということに
なる。
練習に練習を重ねて、類い稀なる才能も味方してくれたとしても、完全完璧はあり得ない。
予期せぬ事態は常に起こらないとは言い難いし
どんなに万全に整えても、アクシデントはどこに
潜んでいるか誰にもわからない。
そんなとき。
誰かを責めるのではなく、自分を責めるのでもない。
原因は後ほど究明してこれからのための教訓にすればよいのだから。
まず、落ち着こう。
外したボールは拾いに行こう。
もしも、川に流されていたら、ひとりで飛び込まないで
助けを呼ぼう。
あきらめなければならないときもある。
どうしようもないときもある。
でもそれを先回りして何もしないでいるのはちがう。
考えられる限りの「想像力」を駆使して
そうならないように安全な場所を確保、
まわりにいる人が信頼できる人かどうかしっかり
見極めて
十分に用意を整えてからでも
決して遅くはないんだ。
いつでも出来ると放置しておくのとはちがう。
そのときのために自分に出来る範囲で積み重ねて
能力を引き出す努力は必要だ。
ボールはいつでも蹴っていいとは限らない。
「今だ!」というときに
躊躇うことなく、自分を信じて迷うことなく
誰かのためでなく
自分がそのボールを蹴ることに
どんな結果が待っているか
予測もつかないとしても
踏み出さなければ何も始まらない。
始まらなければ終わらない。
明日死んでもいいと言うなら、
じゃあ、今日は生きよう。ボールを蹴れ。
壁を超えて空高く放物線を描き、
それを見た誰かが虹だと思うぐらいの。
でも、はじめの一歩は、なるべく小さな目標がいい。
いつか、虹を空に描こう。

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