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私が休職になるまで①

色々と書いてきましたが、やっぱり気持ちの整理として休職するまで、仕事や恋愛のことなど色々書いていこうと思います。

私は2度休職しています。1度目は4年前、2度目は今です。4年前、私は保育士2年目の新人でした。その時は小さい子達のクラスを私含めて4人の先生たちで見ていました。

私がいちばん若く、他の3人の先生たちは40歳以上のベテランの方々だったのです。しかし、私は正規の職員だったので、その中でリーダーとなりました。(この時点で私は不安でいっぱいでした。)

なんとかうまくやらなくちゃ、でも1番実力もないし聞きながらやっていこう、と日々意気込んで仕事をこなしていたのです。

でもすぐに綻びが出てきました。なんと私以外の人達の相性が合わなく(仕事のやり方とか)、ぎすぎすした雰囲気になってしまったのです。私自身こんなことになるとは思っておらず、とりあえず互いの言い分を聞くことしかできませんでした。しかしぎすぎすはひどくなり、子どもたちもなにやらそのぎすぎすを察しているようでした。

その時私は子供や保護者に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そのことを上司に相談もしました。けれど、もうどうしようもならなかったのです。

そのなかで仕事をするのも本当に苦痛だったし、仕事内容は職員の連携だけではありません。記録や保護者とのやり取りもしなくてはなりません。必死に本当に必死なやりました。子どもたちのために、私ができる最大のことをしなくてはならないと。

でもある日、仕事である日々の記録が書けなくなったのです。なぜ書けなくなったのかと言うと、いざこざのせいでした。

日々のこと書けばいいんでしょ?なんで書けないの?

そう思うかもしれません。その書いた記録は他の3人にも見られます。

だからあの3人が読んでも当たり障りないようにしないと(本来はそんな思いで書くものじゃないですよね💦)いけないと思ってしまい、書けなくなってしまったのです。

しかもその当時の私は上司にもこれ以上迷惑かけられない(職員の連携で散々相談していたため)、記録が書けない私なんて怒られてクビになる、そんな被害妄想に囚われて、どんどん抱え込んでいきました。

でも書けないものはいつかバレます。私は結局書けないことが言えず、書けてないことが上司に見つかり、物凄く怒られました。

『なんで早く言わないの!!』『これはあなたのために言っているのよ!!』

そんなことを1時間くらいずっと怒られていました。私はすみません、すみませんしか言えなかったのです。

心の中ではこんな風にも思っていました。

〝そんなに怒るならなぜ、私が助けてと言った時にたすけてくれなかったの。〟

〝どうして私はこんなダメな人間なんだろうか〟

そして怒られた翌日、私は職場に行けなくなりました。

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