今ここは、今未来という捉え方のはなし
ここ数日、友人の紹介で、立てつづけに本を3冊読んだ。
スキマ時間をずっと本にあてた。
いま手元にやってくる本は、
いま必要な本だと信じている。
そして3冊ともが本質的に共通して、
伝えてくれていたこと。
「今ここ、この瞬間」について、
時間の概念みたいなものについて。
妙に腑に落ちたこと。
わたしが理解したこと。
そして、
腑に落ちたきっかけは、
本の中だけのことではなくて、
それが現実とリンクしたから。
娘は今、小学4年生。
昨年3年生のときに、
シュタイナー教育において、
この9歳を迎える3年生の時期の、
とても大きな意味を持つ学び、
「家づくり」をした。
竹を切り出し、
長さを計り、
のこぎりで切ったり、
なたで割ったり、
穴を開けたり、
組み合わせたり、
結んだり。
校庭に、小さいけれども、
大きな家を建てた。
それは、本当に美しい光景だった。
手を動かし、足を動かし、体を動かす。
道具を使い、仲間と共に、ひとつのものを作り上げていった。
それは、家であり、それ以上の意味を持つものなのだと、
はたから見ているわたしでも実感した。
その家を、つい先日、解体した。
今年の3年生が家を建てるときが来たからだ。
しっかりと建っていた家は、
柱を抜くのに一苦労で、
そのすぐかたわらには、
家が建ったときにはなかった、優しい葉っぱが芽吹いて、
蔓を伸ばし始めていた。
その名も無い緑の生命を、
そっと花壇に植え替える少女の姿は、
なんとも心に響いた。
あっという間に更地になったその場所。
家づくりをしていた、
あのとき、あの場に降り注いだ光や風は、
そのまま未来の子どもたちを照らし、
優しくちからづける風となって吹くだろうし、
家を解体しても
家が建ったこと、
建っていた「今ここ」は、
子どもたちの内なる何かに
どっしりとしっかりと
あたたかで安心なもの、
己の礎として在りつづけている。
そこにはすでに、
子どもたちの未来の在り様が
含まれている。
そう思ったら、
今この瞬間は、
同時に、未来でもあるのだと信じられた。
今選び成したことが、
確実に未来の姿となる。
それが、次の瞬間なのか、15年後なのかは同じこと。
それを言ったら、
今は同時に過去でもある、
とも捉えられるし、言えるのかもしれないけれど、
今のわたしは、
わたしの気が変わるまでは、
「今ここ」と「未来を成す今」をより意識して選んでいきたい。
それを教えてくれた本と、
それをわたしのもとに運んでくれた友人たち、
実際の現実として見せてくれた娘の導きに、
心からの感謝を込めて。