ao☆美しくて不思議で素晴らしい日々のできごと☆
ものごころついたちいさな頃から 思い出せる記憶で20才くらいまで、 ときおり、 とつぜんに 起こっていた「状態」 =「それ」。 ずっと不思議だった。 これまでの つたないわたしのことばで 「それ」を表現するとするならば また、穴に落ちた、 というような感覚。 何か特別に もしくはいつも同じ何かをしているときに 起きる、 なんてことはなくて、 「それ」 は、 いつも突然にやってきた。 誰かと何かをしているときでも。 すとん、と 意識のはざまに 落ちてしまう、
6月は 思いがけず絶不調だった。 毎年、わたしの星の巡りてきに、 5月は体調が低迷するときではあるのだけれども、 今年の5月は 元気なままで5月を過ごせていたから 心身のバランスがうまく取れている自分を 自画自賛していたくらいだった。 そしたら、6月に入ってしばらくして。 帯状疱疹初期なのかなぁというような症状が 突然やってきた。 自分でヒーリングしても治らない。 思えばずっと密に忙しく、 +ストレスがどかーんとくる衝撃的な出来事があった直後で、 疲れているのかなぁと。
2023.5.17 夕飯のとき、 ナチュラルサイキックな娘が 「今日、視力検査やったんだよ。 すごいんだよ!目が良くなってたの!!」 と、嬉しそうに言った。 娘はずっと、 1.2と1.5をキープしていたから、 視力が0.1満たないわたしにしてみれば、 十分に目が良いのだけれども、 「1.5と2.0だった〜!」 とにこにこしてる。 すごいね〜!と本心から感動して伝えたら 「直感でね、 なんか下っぽいな、とか 上な気がする〜って思って 答えたらあってたの〜」
娘は決断が早い。 ぱっと決める。 迷いがほとんどない。 え?いいのそれで? もっと見なくていいの? もう少し考えなくていいの? と、いつもつっこみたくなるけれども、 これ!と思った直感に、 わざわざ あれこれ思考をのせようとするのは わたしのくせで どう考えても 娘の即決のほうが 本質的な気がしている。 だから聞いてみた。 「〇〇ちゃんはさ、ものを選ぶときに どうやって、これ!ってわかるの?」 そしたら 『ふたつで迷うときは、これで(手を動かしてみせる)、
怒涛の変化の流れの中にいる。 あたまではもうついていけないから あたまではなにもとらえようとはしなくて ただ流れるままに委ねて ときに、どっちかなと確認したり 起こることを俯瞰してみたり でもあたまでは思考しないように ふ~ん、そうなんだ~わたし、 というような日々。 そんなとき あまりにいろいろ つかみどころなく怒涛の日々が過ぎていくから わたしはこれでいいと思っているけど、 でもこれでいいのかな、と思って わたしの師匠、娘に訊いてみた。 私「ねー、きいてもいい?
2022.12.9 曇り空の昨日。 約束の時間よりも、少し早めに駅に着き、 向かった先は 車窓から見えていた海。 波は穏やかで、 空と海の境がとけていくような遠く向こう。 寄せては返す波の音は静かで こんなとき わたしはいつも、 寒くもなくて暑くもなくて わたしさえも空間にとけてしまいそうな 時間がなくなったような場所にいる。 毎日こんな景色を見ていられたら どんなに幸せだろうか、 と思うけれど、 毎日がこの空間の中にいたら きっとそれには気づ
2022.12.6 おなかぺこぺこの娘11才(師匠もうすぐ12才)。 夜ごはん前の会話。 お弁当に入れたのこりの、 近所の自然食品やさんの、 店舗で揚げているおいしい厚揚げが 1個残っていて、 明日のお弁当にまた入れようかと思っていたら 「今日食べたい気分♪」と 娘が言うので、 ちょっと渋ってみたけど (お弁当のおかず1品をラクできるから) でも 「今日食べたい気分!」と 一歩も譲らないので、 「食べていいよ〜」と 引き下がった。 でも 小さめ1個しかないから、
「そろそろ、大人用の大きいライアーがいいかと思います。」 娘のレッスンの同伴で、 そう、ライアーの先生に言われたのが、2ヶ月ほど前のこと。 わたし:「え、あ、そうなんですね… ちなみに、だいたい、 いつくらいまでにはあるとよさそうですか?」 先生:「注文して8ヶ月から1年くらい待つこともあるし、 楽器は、出逢いですからね。 でも、そうですね…5年生くらいにはあるといいかもしれませんね。 からだも大きくなってきているし。」 わ
千と千尋の神隠しの主題歌となった 「いつも何度でも」 木村弓さんは、 ライアーという楽器を奏でながら その美しい歌をうたっていた。 映画も主題歌もとても好きだったけれど、 あのときは、 その楽器が「ライアー」という ものだということは まったく知らなかった。 それから、何年かして、 まだあかちゃんだった娘が 出逢ったライアーのあかちゃん キンダーハープ そして出逢った おかあさんライアー 実物の響き。 鳥肌が立つような、ぞぞぞ加減で、 もう、全身のちからが抜けて、
娘10才は、 けっこうナチュラルに、 見えない世界との繋がりを 保っている子で。 たいてい、 朝早く、まだぼーっとしているときや、 夜、もう眠くて半分以上、意識が夢の国に行かけているとき、 とても興味深いことを話したりする。 意識が穏やかで平安で静かなとき、 なのだろうか。 つい最近も。 お風呂上がり。 (このタイミングは多い) 「たましいのひとつぶ」の話を娘が語っていて。 ↑そもそも、なんでそのような話になったのか… しばらくひとりで語っていて、 わたしは、うん、
小中学校と 親の事情で 祖父母宅の近くの学校に通っていた。 朝は自宅から登校し、 放課後は祖父母宅に帰宅した。 おやつはいつもたくさんあったし、 テレビはいつでもついていて、 一年中こたつがあった。 もういまは 取り壊してしまった祖父母宅だけど、 記憶に真っ先に浮かぶのは、 こたつと こたつの上のおやつと こたつに座る祖母の、 6畳の畳の部屋に ぎゅっと詰まった あたたかい光景だ。 第六感があった祖母から、 科学的根拠はなさそうな 感覚的な、 先人の智慧のようなはなし
我が娘は、 小さなころから、 夜寝るとき、 絵本を読み終えると、 本を閉じて、 布団をかけ直して、 「おやすみ。またあした。」 と言って、目を閉じる。 とてもあっさりと。 「じゃあ!」みたいなかんじで。 初めて、この光景に出くわしたときには、 たしかまだ4-5才くらいだったと思うけれども、 心底びっくりして、 心の中で、 「え!!どこに行くの???」 「明日まで、会えないの???」 と、 わたしの方が「夜という見えない時間」と、 「眠りの国(夢の国)」という、
いつも立春前の1月末は、 とてもとてもとてもとても眠たくなって、 どうしようもないくらいに眠たくて、 きっと春のデトックスなんだろうと思って、 ここ数年つきあってきたけれども、 1月後半が誕生日のわたしは、 きっと、新しいめぐりが始まる前の、 何かしらの作用もあるのかもしれない、と からだの不思議と、 からだの素直さに感心している。 そして、そんなとき、 なにかを生み出すエネルギーが少し足りなくて、 でもあれやこれや事務的なしごとはたくさんあって、 そんな、 あたまもか
毎日、電車で学校に通う娘。 これまでずっと朝は、学校まで送っていたけれども、 ここにきて、急にひとりで通いたい気持ちがぐんぐん増して、 少しずつ挑戦。 乗り換え駅までの送り迎えを繰り返した後は、 我が家の最寄り駅まで、ひとりで帰ってきた! そして今日。 朝は、いつものように乗り換え駅まで送ったけれど、 「帰りは家までひとりで帰ってくる!」 と、意気込み、改札で手を振った。 そしたら、思いがけず、午後から冷たい雨。 けっこう、ざんざかしっかり降ってきたから、 こんな冷たい
我が家には、 毎月1日になると、カレンダーをめくる、こびとさんがいる。 季節の変わり目には、季節のテーブルのしつらえを変える、こびとさんがいる。 春のしつらえ。 梅雨のしつらえ。 夏のしつらえ。 秋のしつらえ。 冬のしつらえ。 作りかけていた手仕事の、最後のむずかしいところを仕上げてくれる、こびとさんがいる。 夜寝ている間に、食べかけのおやつを食べてしまう、こびとさんがいる。 抜けた歯を窓ぎわに置いておくと、外国のコインやきれいな石に交換してくれる、妖精さんがいる。
子育てって ちいさなちいさなことの積み重ね。 積み重ねるのは 手間も じかんもかかる。 こつこつ ていねいに。 こころもかけて 目もかけて 手もかける。 でも 崩すのは一瞬。 あっという間に 例外、特別が 日常のあたりまえに入り込む。 例外は、わるくない。 特別は、わるくない。 大事なのは そのあとの 戻れる「日常のリズム」を 土台として 安心として 積み重ねの中でつくっていけるか、 なんだと思う。 娘、もうすぐ10才。 10年の積み重ね。 わたしの実験、み