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これは初手から没した『#未来のためにできること』。散文。


#『『『未来』のために』できること』とは?

未来の『何かの』為に、ではなく、『未来』の為に。


ーー何が出来るというのだろうか?( )

いや未来ってなんですか。今の積み重ねですか、それは過去ではないのですかーーとか、そもそも時間ってなんだろうねとか考えるのですけれど。えらいひとは何を観測した?( )

何にせ、そんな何処に収束するかも読めない未知への解答は『わからない』。解けていないから回答だろうか。

自分達に求められている事は『目に映り耳に入る範囲』の『将来』の『維持(死守)』への協力だろうか。正直、自分はもう諦めている。未来の今は未来の人間が考えてくれ。
(∵?)開発に関しては『発展と同時に保護は在り得ない』と思っているから。発展の歴史は地球破壊の歴史でもある、と思う。

SDGsの前身にMDGsなるものがあると知った。すべてSDGsに文面を変えて引き継がれているらしい。ここまでは余談。日本語訳を見て今更知った事は、どちらにせよ『開発目標』であるという事。だからSDGsから金の香りがするのか。なるほど……!( )
ーーいや、考える程よくわからない。何故、持続可能に開発が組み合わせられているのか。
SDGsの上辺しか読めていないだろうが、快適と利便性を諦め切れず、底にまだ辿り付かない人類が『文明で』『地球を守る』『夢』を語っている様で、正直苦手だ。
そんな『魔法科学』が何処に在るというのかーーあぁ、だから探させているのか。民間企業と一般人に。


未来の為に出来る事は『無い』。
出来る意思も『無い』。


つくる責任つかう責任(SDGs12)。ところで片付ける責任は?……恐らく今、地球が全部背負っている。
思い知るにはエアコンも交通機関も快適だから、結局思い知る事は『今の所』ない。夏休みの宿題みたいなもので、絶望の淵に立つまでは、掲げても盤面を捏ねる以上は出来ないだろう。

地球規模の大きな目標と各々に投げられた曖昧な目標、グリッドは何処にあるのだろう?


終末の鐘に管楽器を添えて曰く。
あと90秒もあるじゃんね?


無関心「お願い誰か!何かとしてーー!」
科学狂「発展に犠牲は付き物である!!!」
諦観者「大自然に歯向かうなぞ愚かなり……。」
専門家「お願いしますもう手遅れ近いので……!」


???『お判り頂けただろうか?』

ーー誰も!(消防車を呼んでいないのである……!)( )


あと25文字で収集する技量はないのである……。



区切り線上がまさかの『本文1000文字ジャスト』の諦観になったので、そのまま流してみます。が、にしても暗くて申し訳ないです……。
トップにとても佳い色の終わりそうな夕暮れをお借りしました、フォトギャラリーに共有ありがとうございます。

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