散文の詩が通り過ぎていった
思いは願いだった。健やかに寂しさを育んでいた。どちらへ寝転んでも同じ角度で映るそれをいくらでも愛でた。ときどき差し込むように顕れる情けない記憶に、容赦なく奪われてしまう色を何度も染め直す。私の下にあった影の色を思い出す。恨めしかった夏の青さを思い出す。布団にくるまりもろもろと泣いた夜を思い出す。キャンドルに灯った火の色を思い出す。瘡蓋になっていった傷の表面のざらつきを思い出す。そしてまた、波のように戻ってきたものを再び愛でる。
思いは願いだった。思わないで生きていられないということは、願わないで生きていられないということだ。育まれた寂しさが願いを叶えるのはいつか。
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業務用スーパーの寒さに早々度胸試しをふっかけられたが、素直に降参し、捲り上げていた袖を伸ばして逃さぬように体温を閉じ込めた。そこでやっと業務用スーパーと対等になれた気がした。
冷静に向き合いましょうや、欲しいものは真剣に選びたいんで…、と強気になりつつ店内を回って欲しいものをカゴに入れた。広告も見ずに行ったがその場で見つけて驚く方がサプライズ感があって好きだ。赤字の数字を黒マジック(太)で丸く縁取られている上に修正ペンで光沢を仕込まれ、プリプリしつつ数字同士がぎゅうぎゅうに詰められているのがそこらじゅうに張り出されている中で、その隙間にしれっと、広告を適当に切ったような裏紙に、0.5の黒いボールペンでささっと走り書きした商品名と、黒文字に劣る細さで描かれた赤文字のこれまた走り書きされた値段が書かれたものが貼ってあり、それが広告に載っていようと載っていまいと、明らかに安すぎていて、どう考えても掘り出し物なのであった。原産国や賞味期限ともに私の評価をクリアしていたのでワクワクしながらカゴへと放り込んだ。
鮮魚コーナーの匂いがどうも苦手だが、マスクのありがたさを実感した。もはやこちらが優勢だった。(精神的に)
結果、予定金額を大幅に下回る値段で買い物ができたので、とても満足した。車内に戻ったらやや熱がこもっていたが、長袖でもなお業務用スーパーで冷やされた体にはちょうど良かった。水風呂に入った後に戻ったサウナのような感覚。しばらくしたらまた袖を捲り上げていた。
業務用スーパーと戦った日記になってしまった。なぜこうなった。
SNSとの適切な付き合い方を改めて考えた日でもあった。思いついた言葉や映像が見事に流れていってしまったことがたくさんあったからだ。心が勝手にひりついた。言葉や物語に救われていた日々を思い出した。落ち着かない思考を落ち着かせたい。優しくなれない自分に優しくしたい。夜を穏やかに生きたい。と思う。