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「マナ・プロジェクト」試し読み

今年の文学フリマ大阪と通販で短編集「ガールズ・ロンド」を頒布する予定です。
こちらの記事は「ガールズ・ロンド」に収録予定の「マナ・プロジェクト」の試し読み版です。
作業中につき、細部が変わる可能性があります。ご了承ください。

文学フリマ大阪と通販で頒布予定の同人誌の情報は、この記事にまとめています。

「マナ・プロジェクト」



 自分の他に誰も乗っていなかったモノレール列車から降りて、私は駅名の看板を見上げた。
 トワ・アクアランド駅。
 ぐるりと見渡しても、誰もいない。ハトが歩いているだけだ。
 苦笑して、私は改札へと続く階段を駆け下りた。
 駅から、アクアランドはつながっている。きれいに舗装された遊歩道も、昔のままだった。
 そして私は目的地であるアクアランドの入り口の前に立つ。このまま透明なドア越しに館内を少し眺めていようと思ったのに、自動ドアの優秀なセンサーは私を認識し、なかへと続く入り口を開いてくれた。
 仕方なく、といった体で私はアクアランドに入った。
「いらっしゃいませ」
 受付カウンターの若い女性が、声をかけてくれる。
 私は上着のポケットからスマホを取り出し、電子チケットを見せた。
「少々お待ちください」
 断ってから、女性は私の電子チケットにバーコードリーダーをかざした。
「ご来館、ありがとうございます。年間チケットをお持ちのようですが……」
「ええ、知ってる」
 続きを遮って、私はカウンターから離れて、奥へと練り歩いていった。
 巨大な水槽が並ぶゾーンに入っていく前に、私は壁に貼られたポスターを目にとめた。
『トワ・アクアランド閉鎖のお知らせ』
 閉鎖日は、来月。そう、だから私はここに来たのだ。ここは私の、思い出の地だから。

 トワ・アクアランドには開園当初、かなりの客が押し寄せた。
 巨大な水族館には、古今東西の珍しい魚類が集められ、工夫を凝らしたイルカショーも人気を博した。
 私は水槽のなかを悠々と泳ぐジンベエザメを眺めながら、歩き続けた。
 閉鎖後、ここは研究施設として使われるらしい。国が買い取ったかたちだ。
 それを知って、よかった、と心底安堵したものだ。
 床をすれすれに泳ぐエイに目を落とし、微笑む。
 いつの間にか、クラゲを集めたクラゲ館に来ていた。
 クラゲは大きな試験管のような水槽に入れられている。
 子供の頃、私はクラゲが苦手だった。得体の知れない形が恐ろしかった。
『まあ。クラゲは子供や女の子に人気があるのよ。見て、ほら。このクラゲなんて、鮮やかでとてもきれいよ?』
 スカートにすがりつく私を、母が笑ってあやしたことを覚えている。
 オープン当初はここも、満員だった。でも、今は私ひとりしかいない。
 それに今の私はもう、クラゲに怯える子供ではない。
「このクラゲだったかな」
 ハナガサクラゲ、というネームプレートと共に私は毒々しいほど鮮やかな色を発するクラゲを眺めた。
 やっぱりクラゲは好きになれそうにない、とため息をついて、私は早足でクラゲ館を出た。
 そのあと、気持ちよさそうに泳ぐアザラシをずっと眺めていた。
 アザラシはかわいいのに、泳ぐ姿は優美でもある。
 イルカもシャチも好きだけど、一番好きなのはアザラシかもしれない。
 そんなことを考えながら、薄暗い通路を通っていく。
 お客さんは私以外にも、何人かいた。
 無人でないことにホッとして、私は何も入っていない水槽の前で足を止めた。
 生物はおろか、水さえ入っていない、この水槽。
 ガラスには、青い字でMANAと書かれていた。
「すみません」
 声をかけられて、私は振り向いた。
 背もたれのないベンチに、ひとりの少年が座っていた。
「なにか?」
「ああ、やっぱり」
 少年は立ち上がって、こちらに近づいてきた。
 薄暗い照明と、目深にかぶったキャップのせいで、彼の顔はよく見えなかった。
「マナさん、ですよね?」
 確認されて、私は呼吸を止めた。
「…………」
 答えるかどうかためらって、私は彼の手元を見る。カメラはない。雰囲気からしても、マスコミではないだろう。
 そう判断して、私は「ええ」とうなずいた。
「わあ! 光栄です。僕、あなたの大ファンです」
 手を差し出され、私は迷いながらも彼の手を握った。
 ファンです、と過去形ではなく現在形で言われたことが嬉しかった。
「よく、わかったわね」
 私が引退してから、何年も経っている。それなのに、この薄暗いなか、私を見分けたというのか。
「大ファンなので。それに、閉館前に来るんじゃないかと、思っていたので……。最近、ここに通い詰めてたんですよ。あ、僕はカズキと言います」
 名乗られ、私は「カズキさん、ね」と繰り返した。
「ここで、私のファンに会えるとは思わなかった」
 不思議と、悪い気はしなかった。
 私は彼の手を放し、また空っぽの水槽に向き直った。
「……今日は、思い出に向き合いにきたの」
 言外に、だから邪魔しないで、と匂わせてみると、彼は私から離れ、あのベンチに座り直していた。
 かつて、私がここで歌っていたことを思い出し、水槽のガラスに額をつけて、目を閉じた。

【続きは製本版でお楽しみください】

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