創作をしなければ苦しむこともないのかもしれない
ふたつほどスランプの記事を書いて、タイトルのようなことを思ってしまった。
それほど、スランプの期間は苦しかった……。
でも、最初から創作をしないひとなら、当然スランプは苦しくないだろう。「書かない」が当たり前なら。
一回目のスランプのとき、「書かない自分」に慣れてきたときもあったのだけれど……。というかスランプ中は「辛い」というより「ぽっかり穴が空いた感じ」だった。
幸か不幸か、創作なしでも人間は生きていける。
苦しみのほうが大きくなったら、創作を切り捨てることだって選択肢のひとつとしてあるだろう。
だが、一度でも「書く」「読んでもらう」「評価される」喜びを知ってしまうと、なかなか戻れない。
そう思うと、創作は業にも似ている。
ちなみに創作に伴う苦しみは「書けない」スランプだけじゃなくて、他者と比べてしまって苦しい、評価されなくて苦しい、というのもあると思う。
創作の世界に比較を持ち込むと、燃えるひともいるのだろうけど、大抵のひとは辛くなってしまうと思うので、止めたほうがいい。
とにかく「書く」(創作する)のを楽しめるのが、一番いい状態ではないだろうか。
「自分が創作を楽しめて、更に誰かに面白いと思ってもらえればラッキー」という根源的な喜びを忘れないようにしたい。