はじめてのnote
ある文章を書いてみたので、以前から存在は知っていたnoteに投稿してみようと思い至りました。
拙い文章です。
誰かの助けになるように、とか、少しでも似た気持ちを持つ人の心が軽くなるように、とか、世間を変えたい、とかは何もございません。ただ自分の為だけに書いた文章です。
最後まで見るも、途中まで見てブラウザバックするも、入りだけ見るも、自由です。
私の文章をみて何かを感じることも、何も感じなかったことも、同情を抱くことも、怒りを覚えることも、蔑むのも自由です。
それでも読む際は、あくまでここに投稿することは私個人のエゴであることを念頭において、読んでくださると幸いです。
手記
小学生の頃、クラスメイトや少年野球のチームメイトに揶揄われていた。馬鹿にされていた。 太っている。手足が短い。運動が苦手。なんとなく気に入らない。そんな理由で爪弾きにされた。いわゆる“いじめ”というやつだった。 気が合わないクラスメイトから一方的に悪口を言われ、ランドセルや手荷物で殴られた。
「死にたい」「死にたい」「死にたい」
と何度も口にして悔しさと憎しみを泣きながらその場で噛み締めた。家に帰るまでずっと泣いていたが、ドアを開ける前には必死で涙を拭った。いつも通りの平穏を必死に我が家に持ち込みたかった。母親や父親が心配する顔を見たくなかった。
でも、そんな弱い自分もあるクラスメイトを“いじめ”た。自分より醜く見えるから、という矮小な自己保身と醜悪な劣等感からあるクラスメイトを何度も“いじめ”た。
誰かを嘲り、罵り、蔑むのは気持ちがいい。他人を下位に置けば自分は自ずと“それ”より上位になる。その瞬間だけ、己は「うまく出来ている」という幻覚に溺れられる。極めて効率的に自己肯定感を得られる方法だった。
けれど、それは自分と自分より劣っていると決めつけた人間がいるから成立する上下関係。自分より優れている、自分より強い、そもそも自分と関わりが薄い人間が入り込めば、その幻覚は効力を失う。そしてその後、自分も紛れもなく「劣った人間である」という現実を直視することになる。
今小学校時代を振り返れば、ただただ異常な空間であったと思う。あれほど人間という生物の習性を発揮できる環境はまず無いであろう。生物としての“習性”と学校という社会的共同体から求められる“理性”を巡って取っ組み合う場所には二度と入り込みたいと思えない。
そんな、“いじめ”を巡った混乱は、心に芽生えていただろう「死にたい」「存在したくない」という希死念慮を生み出した。
中学校に進学して自分と関わりが薄い人と関わることに関心を向けた。謂わば、「明るく」なった。けれど、それは過去の弱い自分を隠すカバーでしかなかった。
それとも、小学生時代の自分への罪悪感を紛らわせるものだったのかもしれない。
けれど、その薄っぺらい明るさを意識的に持つことで、クラス……ひいては共同体の歪みを垣間見た。
クラスには、「支配者」がいる。それは一人でも何人でも、男でも女でも構わない。交友関係が広い、他者のテリトリーに無断で入り込める……様々な要素で「支配者」が決まる。その「支配者」により、誰を“いじめ”るかが決まる。
ただし、この一連の流れは誰かが声を上げて決めるわけでは無い。ぼんやりとした“みんな”という観念によって結ばれた曖昧な繋がりにより、誰かが突然爪弾きにされる。
己の悪意に責任感を持ちたくないからか、責任感に対して本当に鈍感なのか、今では最早わからないがそんな空気感を感じ取っていた。
爪弾きにされる人は劣っている人もいれば、かつては「支配者」であった人も突然爪弾きにされる。おそらく、「支配者」というグループの暗黙のルールを破ったが故の罰に近いものだったのだろう。
無神経なほど明るいとも言える人柄のクラスメイトが、自分たちのような下位に位置する人たちのグループに自ら独りで寄っていくその姿は、今の朧げな記憶の中でも痛々しいほどに傷ついていた。
はっきり言って、中学生時代は無味無臭の時間だった。何かになれたわけでも無く、何かを変えれたわけでも無い。薄っぺらい自分を守ることに注力した3年間だったが、自己保身に振り続けたことで学校という共同体への違和感が生まれた。
高校に入学して、仮入部として入った部活に、自分のパーソナリティに近い人間と初めて出逢った。“普通”という観念が横たわる学校では、謂わば「変人」と呼べる部類の人間を初めて見て、いままでの歪んだ自分を緩く肯定できたような錯覚を感じた。
高校生になって、集団に同調することよりも個人であることを主張することに注力するようになった。
1人で休み時間を過ごす、1人で昼休みのお弁当を食べる、1人で片道40分の道を自転車に乗って帰る。
特別に扱うようなものでも無いことではあるし、他人によっては「厨二病」と揶揄されるものかもしれない。
けれど、過剰に集団に適応しようとしていた今までの9年間を過ごした自分にとっては、またとないチャレンジであり、実直な自己主張であった。
高校2年生の夏休みが終わって新学期が始まった頃、学校に行きたくないという気持ちが芽生えた。
それから少しずつその芽は大きくなり、朝のHRには行けずに2〜3時間目から行く、登校するフリをして1時間たったら家に戻る、走る車を見ると自分が轢き殺される妄想が自動で出力される、夜中に突然将来の不安を心のうちに吐き出して涙が出て眠れなくなる……等、少しずつおかしくなっていった。医師に相談してはいないので、今となっては憶測の域を出ないものの、おそらく“うつ”というものになっていたのだろう。
学費を払ってもらっている家族には罪悪感で相談できず、同じ部活のメンバーや仲のいいクラスメイトには似た境遇や感情を持つが故に本音をぶつけにくいと一方的に感じてしまい、担任の先生には負担をかけまいといい生徒を演じる。医者や保健室の先生、カウンセラーも親に話が通じてしまうだろうと思い、言えなかった。
結果、誰にも打ち明けられず高校を卒業した。無論、うつの状態になった脳と身体では集中力は持続せず、意欲は皆無。当然、どの大学にも受からなかった。
ここまで“うつ”で潰れてしまったのは、様々な要因が絡んだ結果だと思われる。
受験生に向けた企業マーケティングやコマーシャル。親のエゴが垣間見える心配の声と催促。インターネットから溢れる成功と失敗への強迫観念。クラスメイトの机とノートに向かう姿。そしてそれらを見ても何もできない自分。自分の頭の中で勝手に組み立てるする不穏な将来。その全てが重圧となって心をゆっくりと押し潰されていった。
両親…特に母親は専門学校卒出会ったが故の経済的格差に苦しんだことから、浪人してでも大学にいってほしいという思いが強く、半ば強制的に予備校に通った。
薄らと親のエゴで自分が動かされている、その状態が自分にとっても頭を使わないから楽でいい、と思ってもいた。だから何も言えなかった。
そこには代償行為を起点とした歪な利害関係が成立していた。
浪人生活が始まって少し経つと、新型コロナウイルスのパンデミックが広まった。
「外に出るな」「県を跨ぐな」「マスクを外すな」「マスクを忘れるな」「咳をするな」「近寄るな」
そんな音のない声が聞こえる様な社会に変態しているように感じた。
だが幸いにも、自分は浪人生活による予備校と家を行ったり来たりの毎日と、抜けきらない“うつ”の症状で行動範囲はそこから広がらなかった。
閉じる世界を望んだ当時の自分は、その混乱を傷ましくも、疎ましくも思っていたが、自分に噛み合うような在り方に世界から変わっていくようにも見えた。それが何より快感だった。ある種の屈折した復讐心を晴らしたような気持ちだった。
本当はずっと憎かった世界が、社会が、集団が、他人が自己崩壊するようで、ある意味滑稽だった。優越感すら覚えた。
浪人生活は何とか1年で終わった。
ただ、“うつ”は完治しなかった為、勉学に関しては酷いものだった。最低限のことだけやって、あとは何もしない。何もできない。自分の世界に入り込んで施錠して、ひたすら年月が過ぎるのを待った。それでも何とか合格して、晴れて大学生へとなった。達成感は多少あったが、何よりも「やっとこの地獄から解放される」という気持ちが大きかった。
大学生へとなったものの、新型コロナウイルスによるパンデミックの影響により、入学式はなくなった。書類だけ届いて、よくわからないまま履修単位を選んで画面越しで授業を受けた。
授業、というよりかは単なるデスクワークにしか感じないほど寂しいものではあったものの、パソコンを使うことに忌避感のない自分にとってはそこまで拒否感を感じることはなかった。
大学生活は集団と隔絶して長期的に完全に個人で行動できる初めての機会であった。
自分で考える。自分で決める。自分で選ぶ。
自分という個人を、自分の内に染みついた偏見や侮蔑を除外して見つめる機会に恵まれた。
リモート授業は結果として大学3年生から緩和された。コロナ禍での規制もゆっくり緩和され、対面授業や文化祭や部活動、クラブ活動も再開されたが、入学当初から何もないことが普通になっていた自分たちにとっては、大学や社会が提示する“かつての普通”の方が違和感を感じた。
大学生活は今までの学生としての人生の中で一番穏やかな日々だった。
他者と繋がることを強制されることがないことが心地よかった。1人が楽しかった。「友達が出来なかったら終わる」という言葉をインターネットで見かけたが、自分の心のうちではそうは思えなかった。
けれど、「死にたい」という感情は消えなかった。小さく萎んでいたとは思うものの、ずっとずっと心の奥底に根付いていた。
「死にたい」という希死念慮と生き続けなければならないのだろう、と直感した。
自分にはきっと価値はない。
そもそも「価値」とは何なのか。それは他人から享受されたレッテルに近く、あくまで他者の主観による利用価値であることが殆どだ。
「仕事で使える」「一緒にいて楽しい」「自分が醜く見える」「こいつは使い物にならない」「生きているだけで邪魔になる」
結局、利害関係を前提とした人間関係での交換物が多くの人が口にする「価値」というものなのだろう。この「価値」を自分は持っていると主張しても、それは他人にとって大層都合のいいアイテムとして見なされ、消費されるだけで終わる。非常にドメスティック(家庭的)な閉じた関係性が他者と他者で成立する。
自分はそんな消費物として生まれた覚えはないし、そんな生き方を選びたくはない。けれど、この利害関係は学校教育の賜物か、はたまた日本という国の行政の賜物か、この日本という大地に、コミュニティに根付いている。資本主義国家としては正しい在り方なのだろう。
最後に決まるのはテストの点数とか、内定した企業の数とか、受験した学校の数とか、内申点とか。
数字は誰も味方につけないし、誰も裏切らない。ただそこに在るだけで役割を果たす。だからこそ、他者の価値を決める最後のカタチに選ばれる。
この数字を勝ち取るこそ、善い生き方だということを言葉を使わずに習慣として刷り込まれる。確かに、この習慣は、目標や目的がわかりやすい。わかりやすいということは自尊心を満たすハードルが低く、容易に自己を肯定できる。
けれども、やはり自分はこの生き方を、習慣をどこかで嫌悪してしまう。結局その数字は自分ではない他者が設定したものであり、自分の基準により設定したものではない。あくまで他者の基準に沿って自己を押し込める行為に他ならず、それは他者が居ない自分だけの関係性になった瞬間、いつか必ず破綻する。数字に依存することは他者へ依存することに極めて近く、結果として孤独になった時に自己崩壊を迎える。
自分には意味はまるで無い。
そも、「意味」とは何か。
「価値」と「意味」を混同されることが多く、それぞれの経験と感性によって意味は異なっていくであろうが、自分の中では
「価値」……他者が基準
「意味」……自己が基準
と思ってこの言葉をなるべく使っている。
意味とは、自分が自分につけるレッテルのようなものだと常々感じている。それはある種の偏見であり、常識であり、主観性と客観性が混ざり濁ったものだ。
サッカー選手になりたい。野球選手になりたい。憧れた職業に就きたい。貧しい人の為になりたい。誰かを助けたい。
小学生時代によく原稿用紙や七夕の短冊に書かされた「将来の夢」は、自分の内に湧き出る即物的な欲望の本音に耳を傾ける作業だ。それは自分がいる「意味」を自分でつくる過程だろう。
しかし、やはりそれには他者の存在が紛れ込む。それは担任の先生とか、両親とか。その他者が紛れ込むことで、純粋な欲望は利害関係を結ぶ糸になってしまう。その糸がいつのまにか「意味」になってしまい、その糸が切れることが「意味を失う」ことに変わってしまう。
今現在、世間で用いられる「意味」の意味は利害を結ぶ糸へと変わったのだろう。
人生において、意味を求めることは虚しい。意味が生まれる源泉が他者へと変化した現在においては、自分1人だけでは意味は生まれない。ようは、自分だけがいてもどうしようもないのだ。
だから、生きる意味はからっぽのままなのだろう。
「生きる意味などなくてもいい」「自分で意味を決めていい」
言葉は選ぶことは難しいが、発言すること自体は誰もが思っているより簡単だ。それを、指を使ってカタチにするならなお簡単な作業だ。けれども、その意味が生まれる源泉を他者に委ねてしまった今の自分にはあまり印象に残らなかった。ああそうですか、と受け流してしまう冷酷さも感じる。
自分の内で意味を見出す術を捨てた人間は、須くからっぽなのだろう、と自分を無理やり他者にまで拡げて古い傷を隠す。
あれやこれやと考えて、結局行き着く答えは「死ぬ」だった。
昔から隣にいた希死念慮ここ最近はひどくなってきている。仕事が上手くいかない。思うように体が動けない。自傷的に物事を捉えてしまう。要領が悪い。物覚えが悪い。物忘れが多い。
社会人という気持ちの悪いレッテルを貼られ(自ら渋々貼ったようにも感じてしまうのが余計に気持ち悪い)、曖昧なまま物事が進み、失敗して叱責される。
今の自分はおそらく、なるべく他人と関わらない方が益が多い人間になりつつあるのだろうと否が応でも考えてしまう。
自分なりに頑張ることの虚しさを知って、自分の筋を通すことの無力さを知って、それらが無自覚な暴力により圧殺される様をここ数ヶ月でまざまざと見せつけられた。
何もなくても、誰もいなくても生きていい、と大学生時代に息巻いたものの、結局他者に依存している自分の存在に気づいて辟易する。
“「死にたい」という言葉は「生きたい」という言葉の裏返し”
おそらく、「自殺」「死にたい」「消えたい」「希死念慮」「鬱病」「双極性障害」のような言葉をGoogleや YouTubeで検索すれば、いや、もはや検索しなくとも世の中に漂っている言葉になりつつあるが、この言葉には私は怒りと嫌悪を感じる。
「死にたい」という感情は「生きたい」という感情の裏返しでも何でもなく、純粋な単独で存在する感情だ。他人によっては「生きたい」という感情を持ち合わせていることも確かに存在する。けれど、それは決して表裏一体のトランプやコインのようなものではなく、表しかないものに貼り付けた……あるいは無意識のうちに貼り付いていた……ものである。
「死にたい」という感情は紛れもなく本心である。
ならその感情の源泉は何処なのか。自分の心や記憶、経験といった自己を形成するものの何処なのか。
おそらく、全てなのだろう。
「死にたい」「死んでもいい」「死ぬべきだ」
自分を形成する全てから死への渇望が、提言が、脅迫がずっと鳴り響いている。頭痛が酷くなるほどにそれは頭蓋骨と脳を振動させる。
結局、自分から生まれた意味は「死ぬ」であり、自分で拒絶した価値は「生きる」だった。
きっと、こうやって堂々廻りに考えてしまう自分はおかしいのだろう。
ネガティヴな性格ではないのだろう。歴とした心の病なのだろう。それでも体はまだ動く。動いてしまう。働ける。働けてしまう。
朝が来ないでほしい。昨日は常々思った。いや、ここ最近ずっと思っていたけれど、懸命に蓋をして無視していた。けれど、もうそれも限界だ。
明日が来ないでほしい、来週が来ないでほしい、来月が来ないでほしい、来年が来ないでほしい、未来が来ないでほしい。
時間を捨てたい。時間を捨てれば未来も過去も意味を失う。
場所を捨てたい。場所を捨てれば何処にも行かなくて済む。
思考を捨てたい。思考を捨てれば暗い未来も明るかった過去も考えないで済む。
身体を捨てたい。身体を捨てればあらゆる生きる実感を感じなくて済む。
全てを捨てたい。自分を形成する全てを捨てれば、私の主観を軸で成立する世界はその瞬間から崩壊する。
結局、答えは「死にたい」に行き着いてしまう。
これも結局、呪いのようなものなのだろう。
けれども願わずにはいられない。