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14.なんだこの短歌?!あるいは、真摯とトマトと子猫と「不在」
真摯って言葉は好きよトマトとか子猫と同じような理由で
第十七回若山牧水青春短歌大賞,青春短歌大賞(最優秀賞)受賞作#tanka #短歌 https://t.co/C88GCXfSN8 pic.twitter.com/ZOzAWrblXB
— 熊谷 友紀子 (@kumagai____) December 6, 2024
数日前、X.comにて目に触れたこの短歌に、未だに囚われたままでいる。
この短歌は、第十七回若山牧水青春短歌大賞の「青春短歌大賞(最優秀賞)」受賞作であり、熊谷友紀子さんの作品である。今から8年前に、当時中学生ながら、このような歌を詠んでいたことに私は度肝を抜かされた。このNoteでこの短歌のすさまじさについて、微力を振り絞って何とかその片鱗でも皆さまにお伝えしたい(この文章をお読みいただければご理解いただけると思うが、すでにしてこの短歌の力が現前しているのである)。
まずは読解から。
「真摯って言葉は好きよ」。この文まで読んで”女性的”、”軽薄さ”、”皮肉”のような印象を受ける。ここまでで何となく詠み人が想像的に把持できるのだが、つづく「トマトとか」で一度目の裏切りを受ける。え、なんでトマト?一体どうしてトマトなんです?
そして、「子猫と同じ」と続いてなお読者を戸惑いのただ中に置いた上で、「ような理由で」。二度目の裏切りである。「ような理由で」ってことは、同じ理由なのそうじゃないの?どっちなんですか!そして何だか読者はよく分からないまま、もう一度上から読み直しにかかる(多分読み直ししない人は絶無であろう)。
何度か読み直すと、「真摯」「トマト」「子猫」が回文であることに思い至り、なるほどと思いつつ、その言葉の選択に舌を巻くことになる。「真摯」という漢字で書くのもそれなりに”難しく””大人らしく”、意味についても高度で”重さ”のある単語に、「トマト」「子猫」といった”愛らしさ”、”身近さ”、”親しみ”あるいは”子供らしい”ことばをそれぞれ対比的に置きつつ、実は回文のために類比的な言葉のアクロバティックな選び方。「同じ」と言いつつ、「ような理由で」で”肯定”と”否定”の両方の含意を提示しつつ倒置表現で読者に、はいどうぞ、と受け渡して来る。
短歌が二転三転するようにトリッキーな言葉で流れつつ、きわめて技巧的に成立している点でも優れていると舌を巻かざるを得なかった。その上で、X.comのリプライ欄を眺めるともちろん読者の賞賛や様々な解釈が踊っているのだが、「どの解釈もぴったり一致しない」という「定型的解釈の不在」が際立っていた(まとめるのが大変なので具体的にはX.comで調べてほしい)。
そう、「定型的解釈の不在」あるいは「永遠の未決状態」こそが、この短歌の<真の魔性の力>である。
この短歌は、”女性的”以外の意味要素が必ず類比かつ対比的になっている(“子供⇔大人””重さ⇔軽薄さ””難しさ⇔簡易さ””皮肉さ⇔真摯さ”……)。そして、文が二転三転としながら倒置法で私たち読者を「未決の状態」に置く。そのために、あらゆる読解が可能であり、定型への回収をその都度拒んでいる。どのような読みにも固着しない、ただ1つの読解に固定することを許さない「定型的解釈の不在」。手が届いたと思った瞬間に、そこにはもう何もない。どこまでも語り足りないようで、語りすぎるもどかしさ。このような、何か、どこかに留めておくことができない「不可能性」「宙ぶらりんの感覚」、これらだけが読者が唯一共有できる「不在のありありとした存在感」である。そして、そのためにこの短歌は「魔性の力」で読者を引き付けているのである。
このような「それが意味するものの取り消しを求める」仕方を、私は偉大なる師 ジャック・ラカンにまつわるテクストから学んでいる真っ最中である。人の欲望を喚起するには、「言葉を提示しつつ、その言葉が意味するものをその都度取り消す」ことが、いや、たったこれだけの仕草で十分だとラカンは言う。このような意味の剥離をなすことで提示された「言葉=短歌」、意味するところが謎となった「言葉=短歌」がいったい何を意味するか?「そのような謎を提示することで あなた=作者 は、私=読者 に何をもたらそうとしているのか?」。このように、「作者の欲望を欲望する」読者が現れ、同時に作者が退くことで、「豊かな読解性」「解釈の永遠の未決状態」が生起したのである。
つまり、熊谷さんの短歌はまさしく、「意味するものの取り消しを求める」ように構造化されたことで、無数の読者の欲望を喚起し引き付け続ける「魔性の力」を帯びたのである。
これを中学生で詠んだとは、末恐ろしい……。
これからの熊谷さんのますますのご活躍を祈念しつつ、拙作でお返しいたす。
「倫理って言葉は嫌だ “ダメだ”とか “泣くな”と同じような気がして」
是非、熊谷さんの短歌と対比してご笑覧くだされば幸いである。