明日から沖縄に住む。 読谷という村だ。 うちから成田空港まで1時間、 成田空港から那覇空港まで3時間半、 那覇からさらにバスで1時間。まあまあ遠い。 静岡県沼津市で生まれ、3歳で千葉県某市に引っ越し、そこからずっとこの街で育ってきたわたしは、初めて実家を出ることになる。 沖縄は、帰ろうと思ってその日に帰れる距離じゃない。陸で繋がってないのがでかい。 うん、やっぱり、まあまあ遠いな。 はじめは寮があるから、キャリーとリュックだけで引っ越し。身軽なもんだ。 まあ、日本だし、
色々ありすぎて久しく更新が途絶えていました。 ダイビングのインストラクターの試験に合格したので、記憶が新鮮なうちに書きとめておきたいなと思って筆を執りました。 9月末から1ヶ月間、毎週土日に泊まりで静岡県のとある海に通い、インストラクタートレーニングコース(通称ITC)を受けていました。 インストラクターの卵である我々を育ててくれたコーチ(ナショナルインストラクターっていうすごいランクの人)いわく、 I いじめて T 楽しい C コース らしいです。笑 そうなのであれば
大人が嫌いな子供だった。 大人たちもまた、私に目を付けていたから、指導を受けることは日常茶飯事だった。 理不尽なことも納得できないことも我慢できないし、媚びたりお世辞を言うのも苦手な性分なもので、仕方がない。オマケに弱みを見せたり甘えたりするのも苦手である。 そりゃあ大人たちに目を付けられやすいわけだ。 社会人になっても、上司なんかクソ喰らえと思っていた(今も部長と課長にはそう思っているが、その話はまたの機会に)。 小学校高学年ごろから現在に至るまで、尾崎豊の「卒業」みたい
卒業式も、入社式もなかった。 コロナが出始めたばかりで、厳戒態勢だった2020年の春先。 わたしたちは大学を卒業して、社会人になった。 学生最後の卒業式が中止になり、 社会人の幕開けとなる入社式も中止になった。 宙ぶらりんのわたしたちは何者でもなくなった。 卒業証書も辞令も郵送されてきたから、たしかに卒業したし、入社もしていた。 ただただ、実感がなかった。 けっこう可哀想な代だったんじゃないかなぁと思う。とはいえコロナ禍でどの年代が一番可哀想だったかなんて、考えるのは
きょうで24歳が終わる。 24歳というのは、無条件に「若いね〜!」と言われる最後の年齢だとおもう。 でもひとから「若いね〜!」と言われなくなったとしても、私はアホで、これからも「今日が残りの人生でいちばん若い!無敵!わはは!」というメンタルでいる予定だ。 今日の私と明日の私で、なんにも変わらないはずだけど、0時を超えたら見方によっては「アラサー」になる。変な感じ。うっかりすると、アンケートの「25-29歳」をスルーして「20-24歳」をまだ選んでしまいそう。 私の24歳は