石川啄木の、現代への警鐘
冒頭の1歌も含め、『一握の砂』は1~151までが「我を愛する歌」という小題でまとめられている。この「我を愛する歌」の最後の2歌について、ここでは論じたいと思う。
筆者はこの2歌こそ啄木の歌の中で最も解像度の高い時代性・社会性を持った歌だと考える。冒頭の「東海の…」は、解像度よりも相対性を重視しているのに対し、この2歌は実際の人物や事件をそのまま題材としている。
1909年10月26日、伊藤博文は中国・ハルビン駅で凶弾に倒れ亡くなっている。政治家の暗殺は、ときに極めて劇的なストーリーを展開する。世間が彼の死に一気に注目し、結果として日本が対韓強硬策をとるようになった一因とも言われる。「伊藤のごとく死にて見せなむ」は、その国際政治上の意味よりも、「劇的な死」として捕らえられた暗殺を皮肉っていると見るべきだろう。
最末の歌、「やとばかり」は、桂首相に抗う自分の夢である。桂太郎といえば、首相在任中は長州閥の後継者として、政党への攻撃や社会主義者への徹底的な弾圧を繰り返した首相である。なぜ当時無名の歌人であった(それを深く自覚もしていた)啄木が、首相に腕を掴まれるのか。
『時代閉塞の現状』は、1910年に啄木24歳が著した時代評論である。一部を抜粋する。
石川啄木は、日本の近代化やそれに伴う空間の変容、世界との関わりを、一切否定していたわけではなかった。むしろそれらを歌い上げているのだから、肯定も否定もしていない。
彼の危機感は「強権」にあった。伊藤博文が草創し、桂太郎らが動かす政治の主題は「強権」であり、その排他性に起因する社会の歪みを彼は見抜いていた。「歪み」とはまさに、個人主義と近代的自我の芽生えが、行き場を失い、目的を失い、権力の思うままにされ、堕落していくことによって生まれる格差である。
石川啄木の生活が放蕩的であったことはよく知られるが、そのアウトローさはこうした部分にもあったと見るべきだろう。筆者はこの啄木の警鐘を、現代日本に当てはめて考えることができるのではないかとも考える。類似した状況は、あえて説明するまでもないだろう。時代は生まれるものではなく切り開かれるものであって、我々学生は常にその先頭にあるべきである。『時代閉塞の現状』をもう一度、最後に引用する。