3歳からの記憶、当たり前が違うこと
・幼稚園
3歳になると親から離れて、だいたいの子供は初めての集団社会に入る。
わたしの場合は幼稚園だった。
とにかく馴染めなかった。
朝預けられる時に大泣きする。なかなか泣き止まない。それが多分3ヶ月くらいは続いていた。
怖かった、不安だった。
お友達は一人だけだった。たくさんの子が集まってする遊びは入れなかった。一人の友達と一緒に木の根っこをシャベルで掘っていた記憶がある。お互いに会話をするわけではない。
みんなが好き勝手なことを言うのが、怖かった。
一年たてば、だんだん慣れて、折り紙や、縄跳びはできるようになったけれど。
サッカーとかには入れなかったし、三輪車とか取りに行けなかった。
お友達は増えた。3人になった。みんなと遊ぶわけではなく、一対一ができる子が3人いた。
・小学校
小学校もまた、馴染めなくて怖くて不安だった。
特に覚えているのは朝の準備が間に合わなかった時のこと。
集団登校に間に合わなかったので、母は一緒に学校まで送ってくれた。
でもどうしても怖くて、昇降口から中へ入れなかった。遅くなったわたしがどんなに注目されるだろう。そう思うと口も聞けない足も動かない。ダンゴムシみたいだった。
だんだんやはり慣れてはいくけれど、
遅れる事については、卒業まで苦手が続いた。
おトイレに行きたいですが言えずに、お漏らしをしていた。気持ち悪いが言えずに、急に嘔吐していた。
とにかくよく泣いて、先生を困らせた。
楽器のオーディションも苦手だった。人前で一人で何かするのなんて無理だった。
リーダー格の子が、コロコロ変わって、その度に、気に入られたリーダーの子にくっついて、生活していた。わたしはサブ補佐が似合っていた、心地よかった。相手かわたしかどちらかの気持ちのブームがさるとまた他の人と過ごす。そんな感じ。
誰とでも仲良くできるし、誰とも続かない。
みんな順番にいじめる側になって、みんな順番にいじめられていた。それに入らない子なんていなかった。
でもまだ多分、小学生の頃は落ち着いていた。
・中学校
中学に入った。部活は強制だった。
なんとなく楽しそうとバスケ部に入った。
バスケ自体は楽しかった。
元々ミニバスの子たちが多くて、仲間が出来上がっていた。仲間内の話についていけなかった。
遠征場所のメールが来なかったりした。忘れられていたのかもしれない。でもみんな優しかった。とても優しかったのに不安が強かった。自信がなさすぎた。自分が許せなかった。
そのうちに学校に行けなくなった。
引きこもり、リストカットを始めた。泣いたり寝過ぎたりしていた。自分はダメなんだと思った。
音楽をウォークマンで聴いて、ずっと絵を描いていた。
しばらくして復学するも、もう顔を上げられなくなっていた、声を出せなくなっていた。おばけみたいと言われた。
次の部活は散々悩んで陸上部に入った、多少楽しかった。卒業前には、少し声が出せるようになった。終わると思うと、気が楽になった。
・高校
中学の進路相談では、わたしは高校に行かないほうがいいと思うと話していた。だから考えられなかった。勉強はできたので説得されて、全日制普通高校に入った。
静かにしていれば。派手なことをしなければ。友達も作ろうとしなければ。落ち着いて生活できていた。学校は苦痛だったから、鎖に縛られている感覚は常にあったけれど、でも高校生活ができることが、嬉しかった。これでも。わたしにもできるんだって。だからわたしなりに努力していた。
基本的に授業中は寝ていた。でも成績はそこそこ普通に取れていた。
美術と体育だけが好きだった。
だんだん眠る時間が増えた、起きられなくなって休むようになった。
それでも通っていたけれど、3年生に学年が上がったら、もう無理になった。
3年生のゴールデンウィーク明け、学校を辞めた。
高校に入ってからバイトばかりしていた、調子が悪くてもバイトは行けた。職場に恵まれていたんだと思う。
バイト代で通信制高校に入った。親に言わず勝手に決めた。
そこに通って卒業した。
そこは、なじめなかった優しい子がたくさんいた。髪の毛が金髪だったりピアスを開けてたりした。わたしもピアスを開けた。嬉しかった。
考えてみると
物心ついてからずっと不安しかなかった。常に緊張していた。苦しいのが当たり前だった、怖いのがしんどいのが当たり前だった。死にたい(疲れたからやめたい)のが当たり前だった。そうじゃない時間がほとんどなかった。
それが普通だったから、異常だと気づけなかった。
みんなそうなのかなとすら思っていた。
少し陽になってもまたすぐ陰になるから、その落差も辛かった。
みんな隠して楽しそうにやっててすごいなあって尊敬して劣等感を持っていた。