波紋のような毎日
悠々自適に暮らしたい
悠々自適に毎日を過ごしたいと思うようになったのはいつからだろう。快楽にどっぷり溺れたいわけではないの。でも、自分の人生にはいつだって余白を持たせていたい。
そう思えるようになったのは、春先に入院した事が大きなきっかけだったのかもしれない。充実した毎日だったし、好きなことも嫌いなことも併せて、毎日何らかのイベントが絶対にあって、十分な休みを取らないまま1年くらい動きっぱなしだった。
休む時間がなさすぎて、体を壊して、半ば死にかけで入院した時の悔しさは今でも忘れない。だけどそんな事があったおかげで、自分と向き合う時間が増えたし、結果的に肩の力を抜く事ができた。誰かと競争したかったわけじゃない。自分のやりたいことを、誰かと一緒にしたいだけだった。
一見張り合いがなくなったんじゃないかなとも思えるけど、私にとっては、むしろ頑張らなくてもやっていけるちょっとした余裕を手に入れたってだけのことで。
そういえば週末は素敵な百合が咲き誇っていたのでそれを気まぐれでサムネイルに。花言葉のひとつに"I'm walking on air"「天にも昇る気持ち」というのがある。
波紋という言葉が好き
わたしは、波紋が好き。
「〇〇界に波紋を起こした」的な、なんかでっかい影響を与える感じではなくて、そこに何か1つの要素が滴り落ちてそれが自然な形で広がっていくのが好きなのであって。
わたしはドイツにいきたいし、スナックをやりたいし、まちおこし的な事がしたい。どれもスケールとか軸とか方向性がてんでばらばらなように見えるかもしれないけど、スタート地点はどれにも共通している。
今まで否定されてきた事、創造性を奪われるような息苦しい空間、正解があるのが当たり前な空間、その全てに嫌気がさして、そんな世界じゃなくなればいいのにって思って、走り出した事だらけで。
そしたらいつの間にかそんな気持ちが自分の行動や言葉遣い、息遣いにスーッと浸透していって、今に至る。
誰かに影響を与えたいわけではないけど、同じような事で困っている誰かの手助けがしたいだけ。
そうしていつの間にか、好きな人と好きな時に好きなことをできる場所が出来上がっていて欲しいだけ。もちろん、作るのはわたしなんだけど。
1つの気持ちが、スーッと全身に広がって揺らめいていく、そんな波紋がわたしは好きなのであって。
最近の状態
2年9ヶ月続けてきたホステスを卒業したのがこの春。たくさんの出会いがあったし、それらは今でも続いている。
守ってくれる人、どうしても軸が合わないねじれの位置にいる人、背中を押してくれる人、いろんな人たちに出会えたことは、わたしにとっては大きな財産。無駄なことはひとつもなかったし、感謝の気持ちが大きいでしかないの。
与えられ続けることの方が多かったと思う。教えてくれる人がいて、フィードバックしてくれる人がいて、生き様を共有してくれる人がいて、わたしはその人たちに何ができただろうって考えるけど、正直なところあんまり浮かんでこない。だから、与えられることの方が多かったなって思ってる。
次はもっと、自分の好きなフィールドで、自分ができることをゆったり実践し続けられる場所にいようと思った。そうしてわたしはこの春から学校で働くことになった。
今働いている学校は、自分がワクワクできる場所。先生も生徒さんも、そういう子がすごく多い。みんなワクワクしたい場所。わたしも自分のやることにワクワクしたい性格だから、そこはすごく合っている。
今まで経験してきたこと、その上で困ったこと、達成できたこと、そういうことをシェアする事ができるのは心地よい。その代わり、それぞれの生徒さんにそれぞれの方法で向き合う事が求められるけど、わたしは人の話を聴くことが好きだし、もっと仲良くなりたいっていう気持ちが強いから、より素敵な自分でいたいって思える優しい職場だと思っている。
自分がいきたいドイツのことも調べている。ドイツの歴史、哲学、出来事、そういうのを好きな時に調べて、気持ちを膨らませている。
ワクワクできる未来の話をしようよ
叶うかはわからないし、その時になってみないとわからないのはあるけど、ワクワクできる話をしたい。
これはただの夢なんだけど、わたしはこれからも悠々自適な生活をしていたい。隠居とまではいかないけど、時間がゆったり流れる場所で、自分にできることを実践し続けていたい。
今住みたいのは、自分のルーツの街。そこは海が綺麗で山が近くにあって、ご飯が美味しくて何より人があったかい。
そう思えるようになったのは、大学で留年したことで受けた地方創生の授業がきっかけだったりする。きっかけがどこに落ちてるかなんて想像もできないけど、それに気づけて走り出せる直感を持っているのはわたしのいいところなのかも知れない。
サーフィンしたり、散歩したり、好きな人たちと笑いあいながら、これまでのこと、これから得ることを存分に共有できる人生でありたい。
わたしにとって人生って、答え合わせの連続だと思っているから、これからもしっくりくる時間を生み出していきたい。
毎日やりたいことがある人生って、なんて素敵なんだろう。
他者を受け止めることができるのってなんて幸せなんだろう。
波紋のような毎日に思うこと
「いい感じだね」「前よりもよくなったね」「嫌な感じが減ったね」こんな感じのことを言われることが増えた。
毎日一生懸命で、誰と戦っているのか、何と戦っているのかが見えない毎日だったから、自然と肩に力が入っていたんだと思う。
余計なマウントをとっていたのかもしれないし、何かあれば噛み付いていたのかもしれない。何かに負けたくなくて、矛先を他人に向けたりしていたんだと思う。「今の良くなかったよな、でも時間がない、走り続けなきゃ!」ってなってたな。
見えない敵なんてそんなのはいなくて、その正体はほとんどが自分の思い込みだったんだって気づいた。そしたら自分の見ているものをもっと信じて、見えないものは自分の直感で受け止めて、自分の感性を大切にしようって思えるようになった。
誰のことも傷つける必要はないし、別に無理して守る必要もない。
ちゃんと周りを見渡せば、わたしのことを見てくれている人、助けてくれる人、ちゃんと汲み取ってくれる人はたくさんいた。わたしはその人たちを今まで大切にできていなかったのかもしれない。だから、悠々自適に過ごす時間が増えてきて、周りの人たちをもっと大切にしたくなった。
向き合ってくれる人に向き合えないで、何と向き合うんだって話だもんね。
当たり前なんて本当に無いし、コロナ禍のおかげでそれに気づくことができたのも大きい。
起こる出来事、起こす出来事、全てにちゃんと意味がある。文脈がある。
だから「それが存在して当たり前」なんてものはほとんどなくて、「それができてありがたいな」って考えられるようになった。
だから、波紋のように物事が自然に広がっていく毎日を過ごせるようになった今、わたしはすごく幸せで。
もちろん落ち込むこともそれなりにあるけど、でもずっと幸せ。幸せを作ってくれる人がたくさんいるからその人たちにありがとうの気持ちでいっぱい。
悠々自適に自分のペースで自分を形づくることができるって知れたことは本当に大きいね。
そんな感じで毎日を幸せに生きています。