性格への憧れと、嫌悪と。
「俺たちはアスリートだから。」
そう言い切った高校時代のクラスメイトのセリフが
いまだに忘れられずにいる。
当時の私には、信じられないくらい、眩しかった。
彼らは、サッカー部に所属していた。
通っていた高校はスポーツ強豪校らしく、
運動部所属の学生が多かった。
いわゆる「マンモス校」と呼ばれる学校で
1学年に10近くのクラスが存在しており
内向的で友達作りが苦手な私は
大多数の名前を知らぬまま卒業した。
彼らの所属していたサッカー部は中でも
かなり強い運動部だったように思う。
彼らは、自分達のことを「アスリート」と呼んでいた。
その頃、私達はまだ1年生だった。
もちろんレギュラーではない。
サッカー部に所属する部員は200人を超えていた。
猫の額ほどの校庭では、練習できていたのかどうかすら怪しいところである。
それでも彼らは、恥ずかしげもなく
自分たちのことを「アスリート」と呼んだ。
「アスリート」の意味を調べてみた。
スポーツに習熟する人、というような意味らしい。
間違ってない。彼らはアスリートだった。
なのに何故だろう。自分には絶対に真似できない。
自分の事をアスリートと名乗るなんて
生涯ないだろうなと思う。
自分が何者であるか一言で表すのは難しい。
そもそも、自分の事を説明するのが上手くない。
途中で簡単に心が折れてしまう。
「いや、この話誰が面白いん?」
と誰よりも先に私がうんざりしてしまう。
関西人の性なのかもしれない。
相手がさほど親しくない、例えば仕事の相手だと特に
これ以上話しては駄目だ、とブレーキをかけたくなる。
「私って、普段からよく手洗うタイプだからさー」
例えばこのような話を知人がしていたとする。
実際していた。感染予防云々の話の流れから出た。
この、先端の「私って」に強めの嫌悪感を持つようになってしまったのは一体いつからだっただろう。
「誰も興味ないって」という声が
聞こえるようになってしまったのはいつからだろう。
その声は、誰の声なんだろう。
まさか、自分の声なんじゃなかろうか。
私も、いつか自信を持って
自分が何であるかを語れる日が来るだろうか。
背後からの声に怯える事なく
胸を張って名乗れる日が来るだろうか。
その時私を表すものが
「ライター」や「作家」のような
文章を生み出す存在であったらいいなと思う。
もしそうであったとしても、
あの時の彼らの様に堂々と言い切る自信がない。
ちょっと口をモゴモゴさせながら、
照れ隠しに口に手をやり話す姿が
安易に想像できてうんざりする。
生まれ持った性格は、なかなか変えられないらしい。
こんばんは、朽木杏です。
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では、おやすみなさい。