隠したくて・・・でも伝えたくて!
不妊治療を10年続けていく中で、授かれないだろうという思いを自然と抱くようになり、そして授かれないことを覚悟するために、授かれないことを身をもって受け入れるために不妊治療を気が済むまでやったように思います。
だから授かれなかったことに対する想いは複雑に今も存在しますが、治療に対しては〔やりきった!〕感があり後悔していません。
治療を終える2年前から少しずつ受け入れてきたつもりでいた【授かることが出来ない】かもしれないこと。
実際に最後の移植で判定が陰性だった日=治療を終結した日に、そんな覚悟も気持ちも吹っ飛ぶくらいに【授かれなかった】現実は想像を絶する辛さでした。
止まらない涙・・・
先生の前で必死にこらえた涙。
【授かりたい】からがんばってきたことが、叶わなかったこと。
それは、自分自身の想像していた【終わりの想い】をはるかに超えて重くつらいものでした。
授かれないことを意識してからの後半5年は、不妊カウンセリングで人間不信に陥った経験も重なって、当事者として不妊と向き合っている方、授かれなかった方のサポートをしたいと思うようになりました。
大学に編入し心理学を学んだり、不妊に関わるカウンセラーとしての学びも同時に行いました。
そして、不妊治療を終え、自らの経験を糧にサポートをしていこうと思っていた矢先に、今度は難病であることがわかりました。
次々に自分の身に起こる出来事。
だけど私にとって、難病の症状からくる苦痛は、幸か不幸か【授かれなかった】ことの葛藤を脇において、その辛さをしばし忘れられる時間になりました。
【不妊】も【難病】も、出来れば隠しておきたい・・・見た目からは分からないのだから、言わなければ自分が感じている辛さプラスの他人の目も感じなくてすむという気持ちも有りました。
不妊当事者としてサポートしていこうと決めたのに、不妊であることを隠したい私が居て、難病当事者としてもサポートしていこうと決めても、やっぱり隠したい自分がいました。
それは【不妊】も【難病】も、わかってもらえないと感じることが沢山あるからです。
だからこそ当事者として【不妊】も【難病】もサポートしたいと思っているのに、自分が隠したいと思っていることに気づいて、ずっとそこを乗り越えられませんでした。
でも、私は不妊当事者で難病当事者です。
不妊ピア・カウンセラーで難病ピア・サポーターです。
だから不妊ピア・カウンセラーなのに難病を抱えていることを話せなかったり、難病ピア・サポーターなのに不妊であることを隠したかったりすることに、やっと違和感を感じるようになりました。
わたしは不妊当事者で難病当事者。両方のピア・サポーター。
そして私にしか出来ないことがある。
不妊当事者として不妊の人たちをサポートしたいとスタートしてから3年。
難病であることは隠してきました。隠すと言うより話せませんでした。
【可哀想】だと思われたくなかったからだと思います。
不妊であること、さらに授かれなかったこと、その上、難病であったこと。
だけど、可哀想だと思っていたのは、誰よりも自分自身でした。
そんな想いの日々を、これから少しずつお話ししていけたらいいなぁと思い、かめさんな更新になりますが、ぽつりポツリ書いていきたいと思います。