理解~理解してもらわなくてもええか~
「多くの人に理解してもらわんくってええか」と肩の力が抜けました。その時に気が付いたことが、多くの人に理解してもらおうとしていた自分がいたことです。
そこで思い出したのが、信頼する占い師さん2人ともに言われたことがある「あなたを理解してくれる人と付き合うこと」という言葉でした。理解してくれることの大切さはわかっていたつもりですが、占い師さんが言っている言葉の意味と自分が思っている意味が少し違っていたのではないかと思います。誰かとお付き合いや結婚をするのなら、お互いを理解していることは重要だと思っていました。なので「当たり前やん」とすら感じていたのですが、私自身を理解できる人は数が限られているのかもしれません。(もしくは、人というのは、本来理解しあえる人が少ないのかもしれませんが、そのあたりは今はなんとも判断しかねています)
で、いろいろと人間関係を思い出したときに、「それ、私が言いたいことと違うねん!」「いや、そういう話じゃなくて!」と歯がゆい思いをすることが昔から多い気がしました。歯がゆさを感じたときに「私の話し方・伝え方が未熟やねんな」と反省をしてきたのですが、もしかしたら、そればかりではなかったのかもしれません。
人というのは、
「理解できるひと」「理解しようとする人」「理解したつもりの人」「理解できないけど、寄り添おうとする人」「理解できないから、避ける人」「理解しようとしない人」という風に様々わかれているのかもしれません。
やっかいなのは、理解したつもりになって、優しさ全開で自分の意見をかぶせてくる人なのですが、そういう人に遭遇すると「げ、面倒くさ。もう、この人とは深い話せんとこ」とシャットダウンしちゃう自分がいたことです。
十人十色で、感じること・理解できること・見えるものなど様々で、私が伝えたことをどう捉えるかは、相手次第な部分もあるのです。なので、伝え方を鍛えることも大切ですが、「あ、この人は、そういう風に物事を捉える人なのか」とこちらが理解をする必要があるのだなと。
それが、足りていなかった自分に気が付き、これまでの人間関係を反省したお盆休暇前半でした^^
きっと、シャットダウンしたことで無駄に切ってしまった縁があるようなないような~~~。
なので、全員に理解してもらう必要もなく、少数でも理解できる人がいれば幸せなのだろうな~なんて思います^^
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