なんで読書をするのか?どれくらい頑張るか?【日々これ #63】
あんざきです。
松本人志の名言集を作ったら、「カモシカのような足やなくて、カモシカの足のような足やろ?」が入ると思います。
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読書というのがあります。
本を読むことです。
「読書」というと、趣味だったり、勉強だったり、日々の努力の証だったり、
人によっていろんな位置付けがあると思います。
そもそも、なんで読書をするのか?という話の後に、どれくらい頑張るのか?という話をします(2〜3分くらいで終わります)。
僕はわりと読書はしたほうが良い派です。
人は世の中を言葉で理解する生き物なので、言葉には触れていたほうが良さそうです。
『人間は、考える葦である』なんて名言もありますが、
考える行為は言葉無くしてはできないんですね。
放っておいても、社会の一員であれば、言葉には馴染めるんですが、
もうちょっと理解を深めたり、もうちょっと上手く伝えたりするには、
やっぱり言葉にどれだけ触れてるか?というのが大事になってくると思います。
あと、読書は、体験してないことをちょっとだけ疑似体験したような状態になれます。
例えば、登山家の本なんかを読むと、登山したことない人でも「山登るって大変なんだな」とかわかると思うんですね(読んだことないけど、たぶんそのはず)。
つまり、人の経験や思考を少し自分のものにすることができます。
多くの経験を積んでる人とか、何かについてとんでもなく考えてる人って、
ものすごく説得力があったり、なんだか、厚みのある感じすると思うんですが、
誰もがそんな経験や思考を積めるわけではないです。
でも本を読んで、人の思考を手に入れることができたら、
少なくとも自分の中にその人が入ってきて、普段と違った角度からものを考えられるようになると思うわけです。
だから本を読むんですが、
まとまった時間を割くのって難しい時もあるし、何より眠くなるじゃない?
よほどの本好きでもなければ、多少頑張らないといけないと思うんですね。
で、じゃあどれくらいの感じで頑張るか?という話なんですが、、、
僕は、まぁまぁ仲良い人の話を聞く、くらいの距離感にできるといいなと思っています。
ものすごい尊敬する人の話を聞こうと思うと、「全部聞かなきゃ!」と思って、気が張って、思考が空回りしちゃったり、過大評価しちゃったりします。こういう時は上手く吸収できません。
逆に、「読みゃーいいんでしょ」みたいに、上司の小言を聞くように読んでも、右耳から入ってそのまま左耳に出ていきますよね(逆かも)。
で、まぁまぁ仲良い友達の話なら、
「ふんふん、なるほど。んでんで?」と聞き入ったり、
「あ、ごめん、ちょっとその話後で聞いていい?」と休憩したりしやすいと思います。
そんな関係の友達と、長い付き合いになるように、
読書も無理なく継続できるんじゃないかなぁーと思います。
そんなイメージを持ちながら、今は「毎日 Kindle を開く」というのだけやってます。
学校で一言二言、毎日話してる感じです。
さて、仲良くなれるかな。
ではまた。
(この話が誰かの何かにつながりますように・・・)
【今日の一枚】
これ、カフェ(人気店)です。椅子がテーブルで、テーブルが椅子です。
【参考】
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