見出し画像

騎士道的な考え方は用兵学の原理に不適合ー騎士道は無益な勇気を誇示する。

文化の読書会

ホイジンガ『中世の秋』(堀越孝一訳)III 身分社会という考えかた IV 騎士の理念  V 恋する英雄の夢  VI  騎士団と騎士誓約 VII 戦争と政治における騎士団理想の意義

<要旨>

中世の激しい精神は、理想をきわめて高いところに掲げることによってのみ、どろどろの激情を制御したかに見えた。これが騎士道の効用だった。よって教会は目標を遠きにおき、騎士道思想もまた理想を高く掲げた。

だが、結果、文化様式と現実の乖離が著しかった。

騎士道を拠り所とみせかけながら、実のところ、うわべだけの偽りと気づいていた人たちは少なくない。ルイ11世とフィリップ・ド・コミーヌがお互いに心を許し合っていたのは、騎士道に嘲笑と軽侮の念をもっていたからだ。

具体的な点を指摘すれば、騎士道的な考え方は用兵学の原理に不適合なのだ。現実が騎士道ー無益な勇気を誇示する、美しく生きたいとの願望ーを否定する。そこで騎士道は文学、祭り、遊びの世界ー幻想ーに逃げ込むことになる一方、身分の低いものに対して、騎士道の高潔さは適用されない。

中世人は、まもなく実現される死後の平等に関心の的があり、生前の平等には絶望的なほどに先のことと考えていたのである。社会イメージは静的であり、動的ではなかった。

騎士誓約は、信仰、倫理の次元での意義を有し、その点で、聖職者の請願と同一線上に立っていた。修道会を指すだけに限定されていたと思われる「レリジョン」という言葉が、騎士団を指すにも使われていた。

十字軍時代の大騎士団は、貴族、非貴族身分の両方から構成されたが、前者は団長と騎士軍、聖職者身分は監督とその補佐たちからなった。市民が団員になり、農民・職人は従者となる。

そして、騎士道は女性への燃える熱情とその禁欲の間にあったーさしせまる危険から女性を救い、開放すること、これが英雄的行為とされ、ロマンティックな筋書きをつくった。

純粋文学ではなく応用芸術である。また、装飾過剰で厚い緞帳につつまれたスポーツー闘技ーもこれに加わる。男性的完成のイメージに高められたのだがー美しい生活を求める熱望として、数世紀にわたって人々の心に活力を吹き込んだが、自負心に絡む私利私欲と暴力とが隠れ潜む仮面ともなっていた。

現代の悲劇的過誤の数々は、国家主義の妄言と現代の文化こそ至上とみる傲慢に由来していると同様、中世の過誤は騎士道精神を原因としていた。

その騎士は17世紀フランス貴族に席をゆずる。身分や名誉といった観念は維持するが、信仰の精神、弱きもの虐げられるものの保護者と称することはなくなった。その次に継ぐのはジェントルマンである。

<わかったこと>

ぼくがよく聞く欧州中世史のイタリア人専門家のポッドキャストでのリスナーからの代表的質問の一つは「中世人は死を美化することが一般的だったか?」である。それに対して専門家は「中世の死生観を騎士道に代表させるのは大きな間違いだ」と答える。

その根拠が本書のこのいくつかの章を読むと分かる。

同時に、ホイジンガが精神性への過剰な鼓舞が役立たないと明らかにしていることは、第二次世界大戦における特攻隊精神が日本軍にとって役立たなかったことの説明にも通じる。しかし、精神性を根底に抱かぬ姿勢も戦略的に脆弱であるのを認識したうえで、と条件づけるべきだろう。

その意味で、ホイジンガの辛辣な批評はソフトに翻訳するのが妥当である。

もう一つ。ぼくは坂口安吾の堕落論にあまり惹かれた経験がないのだが、ホイジンガの騎士道への批判は堕落論と通じるのではないか、とふと思ったのには我ながら驚きである。

今回の章は、先週に旅したマントヴァでみたマンテーニャのフレスコ画を起点としてみると語れることが多い(下記)。

ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロを新しい時代のヒーローとして見ていると、ホイジンガの語る内容がしっくりこないだろう。騎士道の延長線としてのルネサンスを見ているからだ。しかし、マンテーニャは騎士道をもう少し脇においていたのかもしれない。これから調べていかないといけないテーマだ。

冒頭の写真はマントヴァのドゥカーレ宮殿にあるベランダである。他のベランダにはこのような柵がないが、ここだけ柵がある。初めてみた。この柵のゆえんを即確認する術がなかったのだが、この柵に気づいたとき、ホイジンガの次の指摘を思い起こした。

ひっきりなしの祭列、処刑はお説教つきの見世物だった。

きびしい正義と司法の残酷さに酔いしれるだけだったーこれを民衆は、陽気なお祭り騒ぎで楽しんだのだ。

精神性の高低はルネサンスとピューリタリズムの妥協の結果であり、これが近代の心の姿勢を決定した。


いいなと思ったら応援しよう!