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こころのままに生きられるつよさ。

お迎えからの帰宅後、お風呂直行して、その後バタバタと夕飯の準備。
お子たちは18時からの「おかあさんといっしょ」に相手をしてもらってと。

平日の夕飯、かなり手抜き感があったけど、
先日の懇談会で園の看護師さんから
「夕飯はお茶漬けさらり、でもいいくらいですよ、頑張らなくて大丈夫」
「入眠するころに空腹の方が成長ホルモン出ますよ」
なんて言ってもらえたもんだから、手抜きを正当化できちゃったりして。
そんなこんなで白飯とおかず一品完成。

あれ・・・・??・・・静かすぎる。。。

リビングでさっきまでワチャワチャ騒いでいたお子たちの声が聞こえない。
覗いてみると、
長男(4歳)は黙々と折り紙を折りまくり、
遠くには人形をひたすら並べている長女(2歳)。

「ごはんできたよーーー」

今の彼らには聞こえない母の声。

思えば私だって子どもの頃、いつもお絵描きしてた。
描くのは決まってドレス姿のお姫様。
小学校1年生、朝の自習時間もいつもいつも自由帳にお姫様を描いていた。

そんなある朝。
となりの男の子(苗字は伏せておくけど「たかしくん」)が
「おまえ、なんでいつも同じ絵ばっかり描くんだよ、変なの」
と、大きな声で私の絵を見ながら言い捨てた。
クラス中の注目を浴びて、秒速で顔が赤らむ自分。

それから、私はお姫様を描かなくなった。
朝の自習時間は自由帳を開くことをしなくなった。

今思えば、たかしくんの一言なんかどうでもいいはずなんだけど。
当時の私の心には、
まるで自分の存在を否定されたような悲しさ、苦しさ、孤独感
がこびりついて、今でも心の片隅にさびついている。

小学校では1、2年生の担任、ようこ先生が一際怖かったこともあり、
あがり症の私は目立たぬよう、周りに同調しながら過ごしていた。

忘れもしない。1年生の国語の授業。
教科書を1段落ずつ、席順に順番に読み上げていく時間。
自分の番になるまで、私の鼓動は加速していく。
「ドクっ ドクっ。この音みんなに聞こえてる??」
ずっとオドオドする私。
そしていざ、自分の番。

席を立って読み始めるものの・・・
なぜか涙が止まらない。ひっくひっく・・しゃべることができないほど。
相当な時間をかけて泣きながら自分の段落を読み終えて座った。

この一件、その後保護者面談でようこ先生が母に言ったこと。
「(私)さんが読むのが遅くて授業の進行が遅れました」

日常の、ちょっとした出来事だけど、
私の心にはいまだに錆びついている、悲しさ、苦しさ、孤独感。

自由気ままに折り紙をおり、人形を並べるお子たちを見ていて思う。

誰が何を言おうと、折り紙を折りたい。
誰が何を言おうと、人形を並べたい。

小さなふたりは
とてもシンプルに生きている。
私にはできないほどにシンプルに。

長く生きると、周りの空気(そんなもんないのに)を察したり
とりあえず、で同調したり。
そんなことばっかりしてると、自分は透明人間になっちゃう。

自分自身でいられるためにはやっぱり自分そのものを包んでくれる
心の安全基地が必要だ。

小さなおふたりさん。
君たちは自分のこころの声をリスペクトしてあげてくださいな。
その存在自体を愛でる母がここにおりますので。

おかずにしのばせた5ミリほどのほうれん草。
指でつまんではテーブルに飛ばす長女。
あ・・どこまでもシンプル。ほうれん草は1年近く口にしない長女。




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