課題図書全部読む【小学校中学年の部】
小学校中学年の部(3、4年生)応募要項
デジタルリマスター世代
いつかの約束1945 / 山本悦子 作・平沢朋子 絵 (岩崎書店)
戦争の話だと思って読み進めたらSFだった。タイトルがネタバレになっているのでその数字はいらない気がする。そのせいで戦争の話なんだろうと抵抗を覚えて手に取らない人もいるかもしれない。そして最後のシーンを冒頭に持ってきて、その謎解きをしていく方が、物語の構成として好感が持てるように個人的には思う。
でもエンタメ作品というより、戦争と平和について伝えたいのが作品のテーマだからそれでもいいのかもしれない。そしていろんな人が町をつくったという真理を学ぶ良い本だった。いろんな人が作った町が壊されていくことと、戦後にもう一度町を作り上げたという人々の営みに気づくことができる。いろんな人、には色々いて、本書を読んだ子どもたちが戦争を仕掛ける人にならないように願う。裏金議員にならないことを願う。
それは、いろんな人、に敬意を払える人間になってほしいという作者の願いでもある。夏休みが明けて学校に行くまでの道のりで目につくことだろう。通学路の道路を作った人も信号機を作った人もいる。信号機に電気を供給するためには発電所が必要で、送電線や変電所が必要で、それらを設計、製造、品質管理する人も必要なのだ。そのために必要な経費を計算する人も必要で、様々な計算方法を人類は歴史の中で培ってきたのだ。それが戦争で奪われてしまうのは、あってはならない。同時に気象状況や地形等を計算する技術が発達したから敵地に攻撃ができるのだ。空襲するためにどれだけの燃料を積んで、どれだけの弾薬を積んで、何時に空母を飛び立って、それらも全部計算から成り立っている。そういった知識や技術の使い道を誤らないでいたい。
少女時代のおばあちゃんの意識が現在の自分に憑依している話だが、そこで目にした技術に驚愕することを子どもたちはどう思うだろうか。現代の子どもたちは生まれた頃からインターネットやスマホが当たり前にある世界で、あらゆるものがデジタルリマスターで、プレステ2やゲームキューブがレトロゲーム扱いされてしまう世界なのだ。それが当たり前なのだ。それらがなかった時代、できたばかりの時代を理解するのは難しいだろう。その技術の恩恵を受けられるのは戦後に日本が経済的に大きく成長したからだろう。平和だからだろう。僕も子どもの頃はなにも思わなかった。あって当たり前だった。エアコンもテレビもファミコンも。白黒の写真でしか見たことのない1940年代が本当に存在していたなんて、小学生には想像ができなかった。でも歴史とは人々の営みの積み重ねなのだ。自分もその中の一部で色んな人の一人なのだ。やがてあの大戦中に生きていた人々はいなくなってしまう。そうなるとこの本の物語自体が成立しなくなってしまう。そうなる前に、課題図書として子どもたちに考える機会を与えるのは大切なことかもしれない。
(1196字)
正しい選択
じゅげむの夏 / 最上一平 作・マメイケダ 絵 (佼成出版社)
この感想文を読んでいる大人は思い出してほしい。自分が小学校4年生だったときのことを。あの夏を。みんな心のなかに素敵な思い出がある。山や海に行った。テーマパークに行った。友達とゲームに明け暮れた。そうだろう。きっとそうだろう。僕にも小4の夏の思い出がある、わけもなく、夏休みに遊びに行く友達なんていなかったし、平泳ぎもできなかった。いったい何をして過ごしていたのだろうか。わからない。思い出せない。
この作品では、難病を抱えていても等しく接することのできる子どもたちの友情の素晴らしさを描いている。でもたぶんそれが間違いで、病気であろうがなかろうが友達同士の友情というものは存在する。僕にはそんなものはなかったけれど。
筋ジストロフィーという深刻な病を抱えた同級生がいて、年々筋力は衰え、長く生きることもできないかもしれないという状況だが、小学生にはそんなことは関係がないように思える。周りもみんな、その子が病気だって知っているけれど、悲嘆に暮れたりはしない。それを一種の個性と捉えて接しているように見える。決して深刻な物語にはしないで、ひとりの同級生として付き合っていく姿が描かれる。来年はもう歩くこともできないかもしれないと心のなかで思っているから、今年は全力で夏休みを謳歌しようとしている。それは病気の本人だけでなくて、周りのみんなも同じ思いだろう。それに来年のことなんてどうなるかわからないんだから今年遊ばないと損だという思いもあるだろう。病気とか関係なく、明日事故や災害で死ぬかもしれないのが人生なので彼らの選択は正しい。確定していない未来に勝手に落ち込んでも仕方がない。そう励まされた。
僕はいつも逃げてばかりいた。他人が怖かった。自分がなにかすると余計なことはするなと言われる気がした。実際に言われた経験があってそれがトラウマになっているのかもしれない。だから引っ込み思案で引きこもりの孤独な少年だった。他人の目が怖くて、うまく馴染めなかった。どこにいてもそうだった。友達とどこか距離を感じている主人公がまるで自分のようでまいる。主人公の視点もわかる。友達の病気のことが気がかりなのに、そんなことお構いなしにはしゃぐ同級生についていけない。無神経な奴らだと思っているかもしれない。でもきっと彼らは彼らなりに考えているのだ。それに気づけないことが、小学生らしい描写で素晴らしいと思った。
この物語は、同級生の男子が数名しかいない田舎だから成立する、ように見えるように書いている。都会ではこうはいかないだろうと読みながら思ったけれど、冷静に考えればそんな事はきっとない。ただ山や川にアクセスしやすいという舞台装置としてそういう設定にしているだけで、都会の子どもなら都会の子どもの物語が生まれていたのだ。それが想像力なのだ。
(1187字)
現代人の課題図書
さようなら プラスチック・ストロー / ディー・ロミート 文・ズユェ・チェン 絵・千葉茂樹 訳 (光村教育図書)
本書を読んだ子どもたちは大人たちに教えてやってほしい。自ら行動してほしい。僕みたいにこの世が地獄だったとしても自然環境ぐらいには優しくありたい。むしろ地球を汚染している人類に反発するために。そんな動機で優しくありたい。
プラスチックのストローのなにが問題なの? と訊かれたら生分解性がないから、と答えるだろう。それが野生動物たちを傷つける。それがどの程度の量なのかと訊かれたら答えることはできない。地球には七十億の人間がいるのだから、毎日何本のストローが使われているのか計り知れない。しかも小さくて安価で大量生産できる。軽いから風で飛ばされる。そう思うと簡単に捨てられてしまうのは容易に想像できる。じゃあ、プラスチックのストローを使わないようにして、使ったあとはリサイクルすれば問題は解決するのかというと、そんなに簡単ではない。ストロー以外にも分解されないプラスチック製品は数多くあるのだから。もちろん、その第一歩としてプラスチックストローをやめましょうというのが本書の狙いだ。ストローだけの問題じゃないよねと気づかなければならない。小学校の授業で取り上げてそう話し合わないといけない時代だ。そんな時代の教科書に載っていい内容だった。すでに載っているかもしれないが、夏休みの読書感想文の課題図書の一冊で終わらせるべきではない。
プラスチックのストローは身近な存在だから、それをなくそうという運動はセンセーショナルなのだ。だからメディアも伝えやすい。身近すぎて逆に考えたこともないものなのだ。五千年以上前からストローが使われていたというのは、本書を読むまで知らなかった。衝撃だった。歴史の中で様々に進化してきたのだから、今後も進化できる。たまたまプラスチックが成型しやすく生産しやすかったから現状の問題がある。紙製に変えたところ苦情が来たという話題もある。どうすべきかを人類は考えることができるし未来は変えることができる。個人の行動でなにが変わるんだと思うかもしれないが、逆に考えれば、個人の行動の結果が現在の環境問題につながっているのだ。
絵本じゃなくても通用する内容だった。絵本だから手に取らない人もいるだろうし、絵本だから子供が手に取りやすいだろう。それはいいことでもあるし、悪いことでもある。持続可能な社会について学ぶ際の入門書として現代人は手に取るべきである。でも絵本か、といって敬遠するのはもったいない。
恥ずかしながら、あとがきに書いてあるRefuse(不要なものを断る)の提案は初めて聞いた。3Rは僕が小学生の頃から言われていたけれど、そこに新たな行動を付け加えようという良い心がけだと思う。
これからを生きる子どもたちにうってつけの課題図書だったし、大人も読むべき本だった。現代人の課題図書だった。
(1194字)
COZMIC TRAVEL
聞いて聞いて! 音と耳のはなし / 高津修・遠藤義人 文・長崎訓子 絵 (福音館書店)
僕はプレイしていないゲームのサウンドトラックを聴きながら読んだ。机の上の左右のスピーカーから音が届く。左右から音が鳴っているのに、右から左から真ん中から奥から、位置の違う音が届く。音の距離感を聞き分けられる耳を人間は持っている。すごいと思うと同時に他の動物はもっと広い範囲の音を聞けることは本書にも書いてある。他の動物が見ている聞いている世界はどんな世界だろう。
でもそれはきっと他の動物に限らないのだろう。自分が青だと思っている色を他人が同じように見ているかわかることはできないのと同じように。音の感じ方や聞き分ける能力はひとりひとり違うはずだ。読書の感想文もひとりひとり違うはずだ。
音が鳴る理由も音が聞こえる理由もそんなこと知ってるという感想文を書く子どももいるだろう。アタリマエのことが書いてあるので読書の時間の無駄だったと現代の若者みたいなことを書くかもしれない。そういう可哀想な大人にならないでおくれ。自分にとっては当たり前でも他人にとってはそうではないかもしれない。世の中には本当に無知な人が存在するし、知識を得る喜びを知らない人もいる。なんならそれは悪だと教育するような価値観の親もいる。子どもが興味あって読んでいる本に「そんなもん読むな」と言う。「本なんか読んでなにが楽しいの」と言う。想像力を働かせるということができないそいつらは敵なので絶対に近づかないほうがいい。離れたほうがいい。そして耳が不自由な人にとっては本書に書いてあることは当たり前ではないのだ。そういう人の感じ方を想像してみてほしい。それが読書の力なんだ。
本書で書かれているような素朴な疑問を子供の頃は知らなかった。知らないということも知らなかった。音が聞こえる人にとっては音が聞こえるのは当たり前のことで、そこに疑問を抱く余地もないかもしれない。それを、なんでだろうと疑問を持つという思考を身につけられる本だった。疑問が解決すると今度はそれが当たり前の世界になってしまう。知らなかった自分には戻れない。そうしてひとつずつ成長していく。それだけに飽き足らず、もっと知りたいと思った子どもたちはもっと知っていく。音が空気の震えと知って、その性質を本書で知った子どもは、やがて周波数とはなんなのか波長とはなんなのか追求し始める。
そして世界をもっと深く知りたがるだろう。宇宙空間なのに音が鳴っているSF映画はおかしいよなとか言い出すめんどくさい子供になるだろう。なぜ夕焼けがオレンジなのか気になるだろう。やがて赤方偏移に気づいて宇宙が膨張していると勘づくだろう。そんな科学の世界に足を踏み出させる良い本だった。小学校三、四年の課題図書だが、もう少し難しくても理解できるのではと思う。そうでもないのかな。どうかな。わからない。そんな歳の記憶は宇宙の彼方。
(1191字)
ひとこと
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