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課題図書全部読む【小学校低学年の部】

小学校低学年の部(1、2年生)応募要項

・原稿用紙を使用し、縦書きで自筆してください。原稿用紙の大きさ、字詰めに規定はありません(※)。
・本文800字以内
・句読点はそれぞれ1字に数えます。改行のための空白か所は字数として数えます。
・題名、学校名、氏名は字数に数えません。

読書感想文全国コンクール公式サイト(https://www.dokusyokansoubun.jp/youkou.html

(※)Vertical Editorを使用し、400字詰め原稿用紙(20字×20行)の表示にして字数は確認しています。

Vertical Editor

当たり前の生活

 アザラシのアニュー / あずみ虫・作 (童心社)

 アザラシの涼し気な物語を読むことで暑い夏をやり過ごすことができる。タテゴトアザラシという名前は初めて聞いた。アザラシが十九種類もいるとは知らなかった。作者はアラスカに通いながら絵本を制作しているという。本書を読んだ子どもたちは誰もがアラスカに憧れてしまうことだろう。そうであってもそうでなくても、大自然に興味を抱くきっかけとなる作品だった。
 アザラシの生態を知り尽くしていないと本書は描けない。大人が読んでも勉強になる。アザラシがどういう生活をしているかなんて考えたこともない。そういう人間の傲慢が環境を破壊していく。自分たちの生活のことばかり考えている。同じ地球上に住んでいる他の生物のことを思いやれない。それが大人になるということなら大人になんてならなくてよい。
 作者があとがきで環境問題について触れているが、本編で環境問題について描かないことによって、こんな愛らしい動物たちの生活が奪われてしまうということをより強調しているように思う。だが、人間が環境を破壊してアザラシたちが住めなくなってしまうという重い話ではなくて、アザラシの一生を描いている。この本を読んだ子供が成長して、あとがきに書いてあることを理解できるようになれば、そのタイミングでまた考えるだろう。ここに描かれた生活が失われてしまうかもしれないと。アザラシの当たり前の生活を描いた本なのに、それが当たり前じゃなくなってしまわないように考えられるように成長することを願う。
 物語としては、最終的に母親と再会できたのか? ということが気になった。描かれていないことは想像で補わないといけない。読書をして物語に触れるということは、そういった想像力を育む力があるのだろう。だから読書感想文を書くことが奨励されて課題図書が選定されているのだろう。
(793字)


異邦人エトランゼ

 ごめんねでてこい / ささきみお 作・絵 (文研出版)

 人間なんていつ死ぬかわからないんだ。明日事故で死ぬかもしれない。巨大地震が起こるかもしれない。それなのにみんな自分は死なないと思っている。あの人は大丈夫だと思っている。災害や事件で報道される死者はただの文字列でどこかの知らない誰かだと思っている。明日は自分じゃない保証などどこにもないというのに。
 この作品では祖母は死んではいないけれど、そのパターンだってあったはずだ。もちろん子供向けの作品でそんな残酷な運命を描くわけにはいかないかもしれないけれど。
 ごめんねもありがとうも、言わないと伝わらない。その人がいなくなってから嘆いても遅いのである。本書を読んだ子どもたちがそのことに気づいて成長することを願う。ごめんねやありがとうが言えるようにならないと、人が死んでるのにパワハラを認めない某県知事みたいになってしまうぞ。
 孫にああしろこうしろと言う老人は、どこにでもいるのだろうなと思った。苦しくなった。老人の気持ちはわかる。孫が歪んで育ってほしくないから。でも今の時代それは親のしごとではないだろうか。核家族が主流の世の中で、一時的に滞在しているいわばよそ者の祖母があれこれ口を出すのは時代遅れに感じる。そしてそれになにも言及しない親も無関心に感じる。社会の歪みがある。自分の子供の教育方針に自分の親が口出しをするなと思わないのだろうか。
 主人公が幼いから物語として成り立っているけれど、主人公が高校生や大学生になっても口を出してくる祖母が世の中にはいて、いつまでも子供扱いする。過剰な優しさ、お節介は人を歪めてしまう。この物語を読んだ子どもたちがそうならないことを願う。そして、孫がいる人達は、孫に過剰に干渉するような人間にならないようにこの本を読んだほうがいい。
 僕みたく生きててごめんねとならないで。
(800字)

 ※感想文中の表現はあくまで例え話ですが、某元知事は現在ではどうやらパワハラを認め謝罪しているフェーズに入っているようです。


ガラスのジェネレーション

 おちびさんじゃないよ / マヤ・マイヤーズ ぶん/ヘウォン・ユン え/まえざわ あきえ やく (イマジネイション・プラス)

 子供扱いされて憤る気持ちはよくわかる。かつて自分も子供だったから。その憤りが子供らしさでもある。それで落ち込んだり反発したりなにも思っていないふりをする。そうやって人格が形成されていく。だから無責任なことを言う大人になりたくない。それは大人のせいにしたい子どもの理屈だろうか。バカにしやがってと今でもときどき思うが、そんなやつらを相手にする必要はない。今はそう思う。
 転校してきた男の子がいじめられる話だけれど、小さいからという理由でからかうのは、周りの平均からずれているからかな。そして体が小さいから力も小さくて反撃してこないと思っているからなのかな。
 実際、大人になると背が低い人ほど気が強い人が多い気がして、それは負けたくないというか相手に弱者だと思われたら付け入る隙を与えてしまうから、それに対する処世術なのかな。そういうふうに育たなくてはならなくなってしまった世の中は終わっている。
 そしてもちろん人を外見で判断する大人になってはいけないと言いたいところだけれど、すべて完璧にそう振る舞えていると言い切れないのが人間だろう。
 小さい子は、自分と重ね合わせて読むだろうし、背や体格の大きい子は、小さい子に対する認識を新たにするだろう。
 小さいからと自分を卑下するのではなく、この主人公のように強く生きたいものである。『おちびさんじゃないよ』というタイトルの意味を低学年の子は果たして理解できるのだろうか。いや、そういう偏見がよくないし考える力はあるはずだ。なくてもそれを考えるのが読書なんだ。巨人にならなくてもいいけれど、つまらない大人にはなりたくない。少年時代にそう思えていたら、どんなにか素敵だっただろうか。ただ肉体が成長しただけのクソガキのままで一生を終えるかどうかは今この瞬間から考えればいい。
(793字)


どうやってできるの? 延長線

 どうやってできるの? チョコレート / (ひさかたチャイルド)

 カカオ豆のイメージはあるけれど、それが大きな実の中に詰まっているなんて知らなかった。そしてカカオの実がこんなに大きいとも知らなかった。
 どうやってチョコレートができるのか、なんとなくは大人でもわかるけれど、説明しろと言われたら詳細を述べるのは困難だろう。そして子どもたちはもっと知らなくて、店頭に並んでいるものがどのように生まれるのか、本書を読んで知的好奇心がくすぐられることだろう。本書は子供が興味を惹きやすいチョコレートに焦点を当てているけれど、別のものでも構わなかったはずだ。チョコレートだけじゃなくて他の加工食品にも興味が湧くかもしれない。あるいはカカオという植物に興味が湧いてそっちを調べるかもしれない。
 漫然とものを買って消費するだけじゃなくて、その背景を知るきっかけになる良い本だった。大人になるとビール工場に見学に行ってしまうけれど、そこに延長線を引く前段階となるであろう書である。この商品はどうやってできているのだろう、原料はなんだろう、他の商品とどう違うのだろう、と無限に気になってしまう人間になる。世の中よくわからないことだらけなので、無限に本を読みたい。何かひとつものをわかると、わからないものが増える。また本を読む。またわからないものが増える。あと五万冊は本を読みたい。人生短すぎる。時間が足りない。こうして課題図書まで気になって読んでしまう。こうやって読書感想文を書いている時間があればもっと本は読めるのに。でもアウトプットする時間も大事だよと人々は言う。しかし本を読むと「時間は存在しない」と書かれている。これが現代物理学か。となってもっと知ろうとする。
 つまり僕のような人間になってしまうので、読書は危険。チョコレートばっかり食べてしまうのに、小学生向けのこの本を読んで知らないことを知れて自分の無知を知る。
(797字)


ひとこと

 心の汚れてしまった大人の感想文だ。

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縁川央
もっと本が読みたい。

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