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課題図書全部読む【総評】

 読んだ。

 以下、全体の感想的なものを書く(原稿用紙8枚:3200字以内)。どの作品が良かったとかそうことは別の記事に書いた(気がする)ので適当に探してください。

課題図書というもの

 まず、課題図書に指定されている本に対する感想としては、優しい作品が多いなということ。これが第一印象で今でもそうである。
 低学年の部ほどそう感じた。小学校1、2年生に凄惨な話を読ませられないというのはわかるからしかたないとはいえ、あまりにも優しい世界観でそんなことで大丈夫かと心配になった。現実では物語のようにうまくいくことのほうが少なくて、世の中は理不尽で不平等にできているのだ。でもこんな優しい本を読んで育ってしまっては勘違いしてしまう。現実もそうなっていると。そういう危うさを感じた。
 だから、これらの(特に低学年の)課題図書を読んで育った子どもは、もう少し成長したら違うタイプの物語にも触れてほしく思う。別にバッドエンドや残酷すぎる話を読む必要はないかもしれないけれど、人が死んだり裏切られたり理不尽な暴力に巻き込まれる作品を読んだほうがいい。理不尽な暴力とは、権力や犯罪そして災害も含んだ意味で述べている。
 努力しても報われない話。たまたま権力者の家に生まれただけで調子に乗っているゴミの話。ゴミだとかクズだとかクソだとかマザファッカーだとかサノバビッチだとかいう言葉が飛び交う話。世の中にはそういう話もある。きちんとそういうものにも触れて視野を広げなければならない。
 そうしないと、いざ自分が理不尽な目にあったときに絶望してしまう。フィクション以上に残酷な現実がこの世にはあることがある。もちろんいろんな作品に触れているからといって、非常事態に冷静に対処できるかというとそうではない。心構えができているからといってダメージが少なくなるというわけではない。逆に、最悪のパターンを想像してしまってダメージが大きくなってしまうかもしれない。
 でもそれが大事なんだ。

読書感想文を書くということ

 想像するという行為が求められる。最悪のパターンも最良のパターンも。
 物語の続き。相手の気持ち。事態の行方。将来の夢。想像する。創造する。その力を養うために読書感想文を書く。そういうことが求められるように思う。
 なぜ感想を書くのか。ひとつは想像すること。もうひとつはもちろん自分の感じたことを言語化すること。自分の言葉で表現すること。「なんか面白かった」確かにそうだろう。具体的に何がどう面白かったのか。どのシーンがどう印象的だったのか。どこに共感したのか。どこに共感できなかったのか。それらを想像して言葉を生み出す。

 そんなに難しく考える必要はない。
 自分が思ったことを書けばいいのだ。

 それが難しい?
 わかる。だから考える。

 本を読んだ直後に2000字の感想文をだだだだっと一気に書ける人は極まれで、そういう才能を持った人はたまにいる。たぶん。
 でも普通はそうじゃない。
 少なくとも僕はそうじゃない。読みながら考える。漠然と、あるいは具体的に。このシーンのこのセリフいいよな。こういう人いるけど全く理解できない。あの作品に似ている。自分も似たような経験がある。その他諸々。を考える。
 読後にある程度の感想の塊はある。とりあえずタイプしてみる。ツイートする。誰かの言葉を引用することもあれば歌詞をなぞらえることもある。誤字もあるし、後日冷静に読めば的はずれなことを言っていると気づくかもしれない。それは感想というより衝動かもしれない。その衝動を感想と呼ぶのかもしれない。

大人の視点

 今回、読書感想文を書いてみて、2000字は意外と多いなと思った(小学校低学年は800字、中学年と高学年は1200字、中学校と高等学校は2000字。400字詰め原稿用紙換算)。
 もちろん作品によるが。
 字数が多くて削らなければならない場合もあるし、全然書くことねーよなこともある。
 特に低学年の本は、ページ数も文字数も少なくてこれで感想書くの逆に難しくない? と思ったりもした。
 それでいいのだ。そういうものなのだ。
 同じものを読んでも、人それぞれの感想がある。同じ科学の本でも、衝撃の事実な場合もあるし常識でしょな場合もある。書くことがなければ、自分にとっては当たり前のことばかりだったとか、これで感想書くの難しいと思うと正直に書けばいい。それ以上その本に対して書くことが浮かばなければ、こういう作品が読みたいとか、紙の質感が好きとか値段が高いとかそういう観点から攻めてみることもできる。そう思ったのならそう書けばいい。もちろん基本的には本の内容に関する感想を求められているのだろうが、べつに入賞を目指しているわけではない。優等生になるつもりはない。
 最初の記事にも書いたけれど、選ばれて入賞してさらされるなんて絶対イヤなのでむしろ適当に書きたい。僕は子供の頃そう書いていた。そういう自分の人間性を曲げてまで書こうとする必要はない。ただの夏休みの宿題だ。適当にこなせ。子供の頃はそう思えただろうか。わからない。大人の意見だ。

 でもやはり書くのは難しい。じっくり考える。パラパラとページをめくって思い出す。はじめはなんとも思っていなかったシーンを抜き出して無理やり感想をひねり出す。でもそれは感想なのかい? 本当の感情なのかい? とりあえず文字数を埋めるために書いた言葉じゃないかい? 別にこんなこと思ってないのに書かないといけないから書いていないかい?
 それでいい。もう一度言うけれどただの夏休みの宿題だ。そんなものに本気になりたければなればいいし、なりたくなければならなくていい。

 僕が今回書いた感想文にはいくつかの傾向がある。
 まずは、課題図書というものについてである。
 課題図書なんて読んだことなかったとか、上記に書いたような優しい本が多いというようなことだ。何度かそう書いた気がする。
 次に、読書感想文を書くということについてである。
 これが読書感想文を書く意義なんだなと感想文中で述べている。何度か。これが想像するということか、こうして感想文を生み出すことがウンタラカンタラ。そういったメタ視点が入る。
 そして、大人の視点が入るということである。
 僕がこの課題図書に指定されている学年の頃は云々カンヌン。あの当時は。大人の意見では。この本を読んだ子どもたちが大人になったら。とかそういうことだ。何度もそう書いている。逆に言えば大人にしか書けない感想文が出来上がる。ジャックダニエルを飲みながら読んだとか、そういう感想も子どもには書けなくて良いと思う。
 ていうか汚い大人の感想文になってしまう。もっと純粋な心で感想を書いていたあの頃(そんなものあったか?)を思い出して書けばよかったかもしれない。この文章だってお酒を飲みながら書いている。そんな大人になってはいけないんだ。そんな生き物になるなんて知らなかったでしょう? そのままでいられたらよかったのに。僕は飲んだくれているし、酒を食らってくたばるだけなのだ。どうかそんな大人の感想文なんて読まずにまとも大人になってください。
 でもわからないよね。
 人それぞれに感想文があるように。そうだった人生とそうじゃなかった人生がある。
 そう思いたいものだ。
(3181字:本文のみ、空白行詰)

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縁川央
もっと本が読みたい。

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