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課題図書全部読む【高等学校の部】

高等学校の部応募要項

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※その他の応募要項は他の部と同様。小学校低学年の部を参照ください。

読書感想文全国コンクール公式サイト(https://www.dokusyokansoubun.jp/youkou.html

やってみる

 宙わたる教室 / 伊与原新 (文藝春秋)

 こんな先生いるわけない、こんなにうまく事が運ぶわけない、いやフィクションだからいいけどと思って読んだらあとがきで実際にあった出来事を下敷きに書いていると書いていて焦る。やろうと思えば何でもできる。そして定時制の学校のことや物理学の丁寧な描写に好感を抱く。
 もちろん僕は定時制の高校のことなんて何も知らなかった。昼間働いている人が行く高校、程度の認識だった。そこには様々な事情があるのだろうが、僕の想像力を超える人達が集まっているのだと知ることになる。高校をドロップアウトしたヤンキーとか、経済的に厳しい家庭の子供とかが通っている、それぐらいの認識だった。この小説に描かれている生徒たちがどれほど定時制高校で普遍的な生徒かは不明だが、こんな人もいるんだと驚きがあった。でも冷静に考えたら当たり前なのかもしれない。昔高校に通えなかった老人がいたり、いじめやらなんやらで普通の全日制の高校に通えなかった人がいて当然なのだ。でもみんな学びたいから通っているのだ。それは素敵なことだろう。一年も経たずに退学してしまうヤンキーの兄ちゃんや姉ちゃんがいるのも頷ける。中卒より高卒の方が仕事にありつけるからとかそんな理由でも構わない。学校に登校している生徒を見捨てない教師に拍手を送りたい。この物語の教師は、生徒の問題点を把握して、いい点も見つけ出して生徒たちの人生を励ましている。それは定時制だからなし得た所業かもしれない。僕は全日制の高校に通っていたけれど、正直、教師になんの期待も抱いていなかった。いいことも悪いこともしない手のかからない生徒だっただろう。僕は問題を起こしたり、逆に優等生になって目立ちたくはなかったからそういう自分を演じていた。学校の先生に俺の何がわかるんだと思っていた。そういうふうに全日制では見過ごされてしまう僕のような存在にも手を差し伸べてくれるかもしれない救いの書だった。
 単なる青春小説、ではなくてハードSFというか、きちんと丁寧な科学描写が好感を抱かせる。実際にあった出来事を下敷きにしているとはいえ、ここまで丁寧な小説なことに驚いた。それは作者が自分の専門だからというのもあるだろうが、妥協したくない性格なのだろうと思う。定時制高校の描写にしても同じことで、やはり丁寧な描写がされていた。決して雰囲気で書くのではなく、綿密な取材、調査の上に書かれていることが伝わってくる。それは生徒側の話だけでなく、先生側もそうで、保健室の養護教諭の話は実際に聞いた話を書いているような生々しさがある。
 この小説の良い点は章ごとに視点が変わる点にある。次の章ではどんなキャラクタが出てくるのだろうという楽しみがある。それは今までの物語の中で少しだけ出てきた人だったりして、そうきたかと驚かされる。それぞれの事情が語られて、学校での立場が語られて、その人物像が明らかになる。今度はこのキャラクタが部活仲間になるのかと読み進めてどんな展開になるだろうとわくわくする。RPGで、仲間を各地で集めて旅をする喜びに近いものを感じる。でも視点人物はそれだけじゃない。直接部活に入らない(入れない)全日制の生徒が出てきたり、教師視点のときもある。そうして丁寧に人物描写を重ねることで物語は進んでいく。それぞれのキャラクタは、各章で一回ずつしか視点人物になっていないのに、そのキャラクタが考えが自然と理解される。別の人物の章なのに、このキャラクタはこう動くだろうとか、こう思っているだろうということが推測できる。直接書かれていなくても、こういうふうに思っているんだと理解できる。それはやはりキャラクタの描写が丁寧だから。
 序盤からずっと、藤竹という部活の顧問が謎めいていて、読者はそれが気になる。なぜ部活を作ろうと思ったのか。なぜそれぞれの生徒を部活に誘ったのか。巧妙な手口で生徒の心つかみ部の活動に参加させる。その情熱はどこからくるのか。それらも彼の視点の章で明らかになる。これは自分の実験だと言って生徒たちに頭を下げるが、それでべつにかまわないのではないかと思う。どうあれ、彼らは出会って一緒に部活をやれたのだから。元不良少年も、町工場をたたんだ老人も、日本とフィリピンのハーフのママも、保健室通いのSF少女も、こんなかたちじゃなかったら会話することもなかっただろうし、一緒に作業することもなかった。それは素敵なことだろう。目標に向かってみんなで一緒に頑張るなんて青春物語は何歳になってもできるのだと元気が出る。そして何事もやってみなければ、どうなるかなんてわからないのだ。みんなそれぞれの得意分野を活かして部の活動に貢献する。なんていい話だろう。やれることをやる。やってみる。僕はとても勇気をもらった。
(1984字)


寄り添うということ

 優等生サバイバル 青春を生き抜く13の法則 / ファン・ヨンミ 作・キム・イネ 訳 (評論社)

 韓国の進学校の悲しみを描く。なんというか、正気じゃない。でも高校生の頃に僕ももっと勉強すればよかったと思うことはよくあるので少し羨ましさもある。でももっと遊べばよかったと思うこともよくあるのでそんなに勉強漬けは嫌だなぁとも思う。じゃあ僕は高校生の頃になにをしていたのだ。これがわからない。もっと本を読めばよかった。
 そんな事になってしまわないように、本書の主人公たちは青春を謳歌している。
 韓国の受験事情なんて知らないけれど、本書から伝わってくる迫力はフィクションのようだった。もちろん本書はフィクションなんだけれど、ここに描かれている事情は本当に韓国で存在しているのだろう。フィクション的な現実が。僕が知らないだけで、日本の一部の学校でもこのような光景は繰り広げられているのだろうか。そんな高校生活は窮屈だろう。それは本人が望んだことか。疑問である。きっと半分以上は親のせいだろう。いい意味でも悪い意味でも。
 親が自分の子供に理想を押し付ける。子供をコントロールする。そういう親が本書にも描かれる。過激に。子供には子供の人生があるのだから、親が子供をコントロールするなんて間違っているよね、人生を楽しもうぜ、というのが本書の伝えたいことの一つだろう。たぶん。そして親は世間の目を気にする。息子が試験で学年一位をとったと自慢する。勉強のできる優秀な子供、を育てた自分が脚光を浴びるために。
 僕は韓国のフィクションで描かれるこのような類の社会問題はだいたい儒教のせいだと思っている。「孝」とか「悌」とかいう概念のせいで、親や年長者を敬えという教えが過激になる。親が権力を持って親に逆らえない状況になっている。社会的にそういう文化ができあがっている。親が認めた相手としか結婚しない(できない)とか。親の面倒は子供が見るものだから、介護疲れから自殺してしまうとか。その価値観が普通、当たり前になってしまっているのだ。その中で自分の行きたい道を見つけて転校するという選択をするヒロインはなんて勇敢だろうか。そしてそれを受け入れる両親の存在は素晴らしい。転校するなんて言うと学校の同級生には白い目で見られる。勉強についていけないやつだと思われる。主人公だってそういう他人の目を気にしていた。成績が上位だから正読室を使えるけれど、成績が落ちたら使う権利を失う。それはとても恥ずかしいことだと思っている。そのプレッシャーばかりがあって勉強に集中もできない。この主人公の感情も、他人の目を気にする儒教的価値観のせいな気がする。僕の考えすぎかもしれないが。その主人公の気持ちはよくわかる。だからこそ、そんなこと気にしなくていいんだと気づいた主人公の成長は素晴らしい。高校生の頃に僕もそうなれたらよかった。
 物語の中で主人公は大きく成長する。それは他人に寄り添うということ。他人を理解しようとすること。高校生になって最初のうちは、勉強のことで頭がいっぱいで、主人公は周りが見えていなかった。もちろんそれは同級生も同様なのだろうが。主人公に近づく有名な女の子も、昔の同級生も、完璧な先輩も、みんなそれぞれに事情がある。悩みがある。それなのに、誰それは何々だからいいよな、と勝手に決めつけてしまう。こっちの悩みも知らないでサ。でもそれはお互い様なのだ。きちんと向き合えば、きちんと話し合えばわかってくるものがある。お互いに自分の言いたいことだけを言うことは会話ではない。悩み多き高校生に、相手の話をきちんと聞く余裕があるか? 主人公たちはサークル活動で討論をしているのに。相手の話を聞くことってどうしてこうも難しいのだろうか。
 力になってほしいという相談に、何だお前と思っていたのに、他人を理解することを覚えた主人公は自分でできる範囲でなら助けてあげられると思うと思いやりを示す。本当のことを打ち明けてくれたから、それに誠意で応える。高校生の頃の僕にはそんな事はできなかっただろう。こんなに都合よく物語的に人生は進まない。でも僕なんかに誠実に接してくれた人を僕は好きになってしまった。偉大だった。臆病な僕には好きだということもできなかった。この物語の続きに、主人公は好きな人に好きだと言えるだろうか。きっと言えるだろう。だって自分の道を歩いているのだから。人生なんてどうでも良かった僕とは違う。主人公には未来がある。自由がある。未来を自分の手で決める自由がある。韓国の社会事情に縛られないで歩いていくだろう。それは読者の励みになるだろう。大人になった読者が本棚にこの本を置き続けていればいい。時々読み返して勇気をもらえばいい。部屋の本棚に置いていなくとも、心の本棚に置かれていれば、きっと生き延びることができるだろう。
(1985字)


大道廃れて仁義あり

 私の職場はサバンナです! / 太田ゆか (河出書房新社)

 サバンナのことなんて僕はロマサガ2のことしか知らない。暑そうだしサバンナについて考えたことなんてなかった。
 本書は単にこのねーちゃんすげーなという感想だけには収まらない内容だった。メジャーな動物もマイナーな動物も、名前や姿はなんとなく知っているけれど、それだけだった。動物に関心を持つことなんて人生においてほとんどなかった。猫かわいいいぐらいしか。だから様々な動物のことを知れて大変勉強になった。興味が湧いた。そして動物たちと人間たちの問題が述べられていて、自然とは何かを考えさせられる。
 章立てで、肉食動物、草食動物、鳥、虫たちと順々に紹介していく構成がよい。仮に一番伝えたいものがあったとしてもいきなりフンコロガシの話をされても戸惑うだろうから、ライオンから。サファリガイドでも、やはり目玉の動物から紹介するのだろうか。それとも大トリにもってくるのだろうか。サファリガイドでものを伝える仕事をしていると、そういう能力は身につくだろうなと思った。本の構成は編集者と話し合って決めるのだろうけれど。いずれにしろ、経験から人は学ぶ。本の構成のことが気になるのは僕がそういう目で本を読んでいるからだろう。
 動物たちの話に戻ると、まずライオンは二〇時間近く寝ると書かれている。そこからライオンの生態を解説する。大型の肉食獣から小型の肉食獣まで様々な動物がいてそれぞれに関連して生きている。ハイエナは胃の酸性度が高いから死肉でも食べてしまうので、ライオンやヒョウの食べ残しも食べてきれいにしてしまうのだそうだ。そして胃の酸性度が高いので病原菌も生きられず、彼らが死肉を漁ることで病気の蔓延を防ぐ役割もあるのだとか。そういう仕組みになっているとは知らなかった。
 この章ではリカオンが人間社会との接触によって絶滅に瀕していることを説明する。単に人間が殺すだけでなく、狂犬病などのウイルス感染による被害もある。それを防ぐためにワクチンを接種して保護活動をしているという。僕は複雑な思いを抱いた。でもそれはいいことでしょ? ……そうだろうか。
 ワクチンを野生動物に接種して絶滅から救おうとするのは理解できる。だがそれは人間のエゴではないのか。残酷だけど、滅びる定めならそれが自然のあり方なのではないかとも思うのである。もちろん人間のせいで絶滅の危機に陥っているのだから人間に責任はある。その愚かな行為に対する償いのような側面もわかる。でも人間も自然の一部なのではないかという思いもある。地球に生物が生まれて進化して今に至るのなら、その過程で地球上の生物が他の生物を滅ぼすことは自然なことではないか。そうじゃないと思える人間の心は傲慢ではないか。それができてしまうからそれをするというのは高度な知能を持った生物としての役割なのだろうか。そういう葛藤がいつもある。
 僕と同じように思う人はきっと大勢いる。後の章でも、象のためを思って人工的に水場を作った結果、象が増えすぎて困っているという話題が紹介される。人間が自然に介入した結果、自然界のバランスが崩れてしまった。そんなことをせずに本来の、ありのままの姿でいられるように努力をするべきなのかもしれない。それは僕が老荘思想かぶれだからということもあるかもしれない。そしてそれは簡単なことではないから問題になっていて、解決策を見つけるのは困難を極める。
 この本で驚く点は、肉食動物と草食動物を紹介したあとに、鳥の章と虫の章があることだ。確かに、冷静に考えれば、サバンナに暮らすのは彼らだって同じはずである。人はどうしてもアフリカの動物と聞くと、象キリンサイライオンチーターといった類を思い浮かべる。でもそれだけじゃない。もっと多くの生き物が生きている。そしてやはりお互いに影響を及ぼしあって生きている。もちろん食物連鎖があるので捕食者として、被捕食者としての意味合いもある。先程のハイエナの話と同様、ハゲワシも死肉を漁るので病気の蔓延を防ぐ役割がある。コサイチョウという鳥はコビトマングースについていって彼らが取りこぼした虫を食べるらしい。そしてコビトマングースの天敵であるワシなどが近づくと音を出して知らせる。お互いの存在がお互いの生存に深く関わっている。そしてさらに、クロオウチュウという鳥は(危険は迫っていないのに)鳴き真似をしてコビトマングースを逃げ出させおこぼれに預かる。その習性は人間に対しても行われて、おこぼれに預かれないかと人間についてくるそうだ。自分も自然の一部になったようだと著者は嬉しかったと述べる。それがやはり自然のあり方なのだ。
 自然を守るために何をべきかは難しいことだけれど、それを考えるきっかけになる素晴らしい本だった。
(1988字)


ひとこと

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縁川央
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