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奴隷紀②
下部温泉 2022.9.6-9.7(後編)
※奴隷紀とはインプット奴隷合宿の紀行文的なことである。
前編▽
1日目②
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インプットのしもべ
チェックインをすませた僕は、早速お風呂に入る。
噂通りのぬるい湯だった。というか冷たいと最初は感じた。奇妙な感じだった。最初は冷たいと感じたけれどだんだん慣れてきた。それでも奇妙だった。ぬる湯に15分ほど浸かって、熱い方(こっちは一般的な温度の湯)に5分程度浸かるのを交互に繰り返すのが良いらしい。僕は思った。どのタイミングで外に出たらいいのかわからない。交互に入って最後は熱い方がいいのかぬるい方がいいのか。これがわからない。それはともかく、夏バテの疲れは吹き飛ぶ。肩こりも治る。傷口はみるみる塞がる。お腹の調子も良くなる。食欲もわく。空も飛べる。というのはフィクションですが、武田信玄が戦の傷を癒やすために浸かったと言われるように、傷跡や痛みにはよく効くそうだ。
風呂からあがってまだ16時なので18時の夕食までインプットができるのである。
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窓の外には自然がいっぱい。いいところだ。そして線路が近いから1時間に上下1本ずつぐらい電車が通る。個人的にはそんなに気にならない。以前、ベランダの目の前が線路の物件に住んでいたからそれに比べたら何も思わない。
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そして僕は本を読む。
『ふしぎなキリスト教』は対談形式なので、実質、ゆるキリスト教学ラジオって感じだった。
「神はひとりひとりカスタムメイドの救い方を考える」
「(聖書の手紙類は読みにくいので)論文ですよね」
「渋谷でいきなり男が女に声をかけるみたいに、神がアブラハムをナンパして、これに人間(アブラハム)が応じたということですね!」
などという風にラフな感じで語るから非常に読みやすいし面白い。
正直な感想としては、読める!
読めるぞ! 旅館で読書するの最高やんけ。
夕食までの2時間、集中することができた。
以前の僕なら、暇を持て余していただろう。温泉宿ですることなんてないよと。でもそれが有意義な時間に変わった。この時間のために今日一日ここまでやってきたのだ。しかも田舎なのが良い。街なかで観光客がワイワイ車が通って賑やかでは困る。
一瞬だけもの思いにふけったりするけれど、本を読まないともったいない。大切なこの時間をきちんと使え。
夜
18時になって夕食が運ばれてくる。
温泉宿の醍醐味のひとつだろう。自分で作らなくていいのはもちろん動かなくてもいい。直前までインプットに集中できる。素晴らしいシステム。
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まずは前菜。梅酒と白ワイン(山梨なので)もついてくる。
刺身を頂いて、その上の青い器に入っているのはうなぎである。その上にきゅうりをすりおろしたものが載っている。
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うなぎを食べたのは数年ぶりである。もううなぎは食べないと誓ったのに。こういうタイミングで遭遇するとは予想外だった。
うなぎは食べないと言うと、人々は嫌いなの? と問う。そうじゃない。おいしい。僕は最高のうなぎを食べたのでもうそれを超えるものはないとわかっているから食べないようにしたのだ。
あれはまだ恋人ではなかったときのことだ。あの人と2人で帰って偶然見つけたうなぎ屋でうなぎを食べた。うなぎと言ってもうなぎの串焼きである。なにそれ、そんなん見たことないと珍しくて立ち寄った。美味しかったのはもちろんであるが、2人で過ごせたその時間が僕は忘れられない。なんで僕なんかとデートしてくれるんだろうと思ったものだ。僕なんかといて楽しかったのかな? 何考えているわからないし退屈じゃなかったかな? そんな関係がひと月かふた月続いた後に、彼女は僕のことが好きだと言った。変な人だ。僕たちの関係は恋人にランクアップした。それからひと月後、僕の異動が決まった。2人を引き裂くように。毎日会っていたのに、付き合ってひと月なのになんで離れ離れにされないといけないのだろう。やがて月に一度程度しか会えなくなって、黙って彼女は去ってしまった。どうして何も言ってくれないんだろう? 別れ話もしないなら別れることもできない。今でも元気にしているだろうか? 元気に暮らしてくれたらいい。それがいちばん大事なことなのだ。それ以外はどうでもいい。僕はそれから4年ぐらい食欲はないし正社員もやめた。もともと軽い身体はますます軽くなり、もともと乏しい感情はますます失せ、もともと悪い視力はますます悪化する。あとは酒を食らって死ぬだけの物体と化した。
だからあの美しい思い出が消えないようにうなぎは食べないことにした。
でもこのタイミングで遭遇した。食べてみたらうなぎはおいしかった。知っていた。そういう問題じゃないこともわかっていた。
僕は、隣にあの人がいないことに慣れてしまったのかなぁ。俺はうまく笑えているか。ああ教えてくれ俺のどこに間違いがあるのか。街の冷たい風から逃れて生きてきただけなのに。(※)
本当は1人で宿にこもって読書する趣味に目覚めない人生のほうが良かった。あの人の隣で好きな映画をいかに好きか語り合うなどしていたい人生だった。キリスト教の本を読んでいると、それは神が与えた試練だとか言い出す。そんなに前向きに生きられたら良かった。
それはともかく、夕食の続きです。
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特に左のいちじくにごまのソースをかけたのがおもしろかった。いちじくをデザートではなくいわば一種のサラダのように出す発想はすごい。しかもおいしい。
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どれも非常においしかった。一品一品はそんなに量があるわけではないのに、食後は満腹で少し苦しかった。高級な肉や魚があるわけではないけれど、地元の野菜や魚を使った料理であった。そういうのが一番良い。有名な名物料理もいいけど、こういう料理が落ち着く。
少しうとうとしてぼんやりとスマホを眺める。お茶を入れて、僕は本を読む。しかし眠気に襲われて、1時間弱しか読めなかった。もう一度お風呂に入ろうと思ったけれど眠たいので少し早いけれど21時には寝ることにした。
電気を消して布団に入って、自然の中で時おり電車が通って……暑くて寝れない! 冷房の設定温度を1度下げる。強迫神経症なので、夏でも布団をかぶって寝ないといけないという強迫観念にかられている。肩まで布団をかぶって寝ないと風邪をひくと思っている。強迫神経症かどうかは知らない。そして現在では強迫性障害と呼ぶはずだ。やがてねむりが訪れる。早く冬になればいいのにと思いながら。
夜中に目が覚める。一度目が覚めるとなかなか寝付けない。トイレに行ったり水を飲んだりする。時刻は23時をまわった頃。再び本を読み始める。静謐な夜の中で集中して読むことができる。ぼんやりとしか知らなかったことを知っていく。読みながら気になるところには付箋を貼っていくけれど、本当はそれだけじゃなくてメモを取って、まとめるのがよい。よりインプットできる。しかも手で書くのが好きだから、できたら手書きでまとめたい。思えば学生の頃はエバーノートにまとめて試験前に見ていたものだ。テキストの文字の羅列を大事なところだけ抜き出して自分なりにまとめていた。表が必要なら表も描く。そのまま使えそうな図なら写真を撮る。試験前はそこを見返すだけでいい。たぶんこれは性格的な問題だろうけれど、まとめたり整理整頓するのが僕は好きなのだ。その作業が必要だ。今回もルーズリーフとペンは持ってきているけれど、時間が足りない。まとめ始めると長時間その作業に没頭してしまうこともある。次の日の予定もあるので一泊だと厳しい。だから思った。2泊以上した方がいい。あるいは読んだ内容をまとめるだけの合宿も必要だと。紙にアウトプットする時間がほしい。でもそう思えることはとてもいいことだと思った。まとめるに値する興味深い内容だし、複雑だし、自分ももっと知ろうとしているということだからだ。
そんなことを思いながら1時間インプットして寝た。
2日目
予定
2022.9.7 Wed.
0847 下部温泉駅→(身延線)→1004 富士宮駅
(静岡県富士山世界遺産センター他)
XXXX 富士宮駅→(身延線)→XXXX 富士駅
XXXX 富士駅→(東海道本線)→XXXX 横浜駅
XXXX 横浜駅→(京浜急行)→XXXX 最寄り駅
雨
翌日は、朝の6時台に目が覚めた。朝食は8時からだ。
しばらくごろごろして、着替えてから、7時から8時まで読書をした。いいぞ。朝食前のインプット。捗る。8時から朝食、という時限が決められているとその時間内に集中できるようだ。その点でも、決まった時間に食事ができる温泉宿とインプットの相性がいいことがわかった。
外は雨が降っていた。しとしと雨降る中、読むのもよいものである。
さて、朝食である。
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多い。おいしい。お櫃に入っている米は茶碗3杯分ぐらいあったけれど全部食べた。朝からこんなに食べたのは久しぶりだ。
朝食を頂いたあとは特にすることもないのでチェックアウトする。8時45分頃だった。本来の予定では8時47分発の普通に乗るつもりだったが、その次の9時26分発の特急に乗ることにした。
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0926 下部温泉駅→(身延線)→1023 富士宮駅
身延線屈指の都会(?)富士宮にやってきた。
雨は変わらず降っている。当然、富士山など見えるはずもない。せっかく富士山が見える身延線に乗ったのに。人生みたいだ。いつもタイミングが悪い。でも最強の折り畳み傘を持っているから大丈夫だぜ。
モンベルのトレッキングアンブレラ。
アマゾンの価格が妙に高いけどだいたい5000円ぐらいで売っている。
軽くて丈夫で、広げると意外と大きいから助かる。普段からずっとこの傘を使っている。
少し肌寒い小雨降る中、駅からしばらく歩くと見えてくるはずだ。奇妙な建物が。
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なんやこれ。街なかにいきなり出てくるから笑う。外観はインターネットで見ていたけれど、こんなに街なかにあるとは思っていなかった。道路沿いに、普通のお店とかと並んで同じテンションで存在している。
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静岡県富士山世界遺産センターである。静岡県とついているのは、山梨県にも同様の施設があるからでそのうちそちらにも行きたいものである。
やはり逆さ富士をイメージした特徴的な建物が印象的で、なんやこれって何度も思った。
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中の展示も非常に面白かったです。何より面白いのは、この逆向いている富士山様の物体の中を螺旋を描くように歩いて登れる点にある。その中歩くんやって。登るに従って、展示内容も標高が上がっていき、そこに棲む動物や植物の紹介等をしてくれる。螺旋を登りながら右手の壁に映像が投影される。やがて頂上にたどり着くと、大きな窓があって、富士山がきれいに見える。……はずだ。幻覚の富士山をだれもが曇天に描く。
下りは、中央の部屋にある展示を見ながら降りる。パネルに富士山と人々の歴史が表示されていく。手前のタッチパネルの該当箇所をタッチすると前のパネルに説明が表示されるわけだけれど、ちょっと距離が近くて見にくいと思った。いや、富士山も近づけば大きく見上げることになるはずでそのメタファーなのかもしれない。何を言っているのだ。ともかく、パネルには富士山の成り立ちや過去の噴火の話、竹取物語や富士山信仰から芸術作品に描かれる富士山、果ては海外での見られ方まで幅広く表現され展示されていた。富士山に対してそんなに考えたことがないから、単なる山だと思っていたものが奥深い世界を作っているのだと認識を新たにさせられた。山岳信仰などと、そういえばそういう概念をどこかで聴いたことはあるかもしれないけれど、積極的に考えたことはなかった。そういう知らない世界もあるのだ。知っている山なのに。知っているつもりの山なのに。
僕はこの施設を訪れて、深いインプットを得られたとは思わない。ただ、インプットのきっかけを得ることができた。懐深き富士の山には魑魅魍魎が潜んでいて、僕の知らない未知の知がこちらを狙っている。無知な僕を咬み殺そうと。知らない世界を知った。世界は広がった。つまり有意義な時間だった。
外に出ると雨は上がっているはずもなく、雨男力をいかんなく発揮してしまった。ちょうど昼飯時だったので(もちろんそうなるようにスケジュール管理をしている)、世界遺産センターのすぐ脇の道を北に歩いて2分ほどにあるお宮横丁なるところへ赴いた。
ここには土産屋や飲食店が並んでいる。
浅間大社前の観光スポットになっている。ここで昼食を摂った。
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富士宮やきそば。富士宮のことを調べたら出てくるので気になって食べた。感想としては一番うまい焼きそばという感じである。よい。調べてみると、中に入っているのは肉かす(関西人としては「かすうどん」の「かす」だと思ったけれど、あれは牛でこっちのは豚らしい)でこれがとてもよい。イワシの削り粉がかかっていて、静岡おでんを食べたときにも出くわしたあいつだと思った。麺もしっかりしていて普段口にする焼きそばとは一線を画す。また食べたい。
ミシマユキオ
昼食後は駅に帰って、帰路につく。
当初の予定では、富士駅から横浜駅まで東海道本線をのんびり帰るつもりだった。あるいは新富士駅まで歩いて新幹線で品川まで。でも予定は変わった。
なぜか。
理由はふたつある。
まずひとつ目の理由は雨だから。雨の中新富士まで歩くのは難儀である。なので中止することにした。
もうひとつの理由は、甲府駅で発生した運賃の支払いと入場記録の取り消しをしないといけないからだ。もちろん横浜駅でもできる。でもあんなごちゃごちゃした駅より安心の品川駅のほうがいい。早く安心したい。問題を抱えたまま、焦った心のままではいたくない。そのために一刻も早く品川駅を目指すのだ。
なので、富士駅から東海道本線で三島駅まで行って新幹線に乗り換えて品川を目指した。
1246 富士宮駅→(身延線)→1305 富士駅
1310 富士駅→(東海道本線)→1338 三島駅
富士駅の滞在時間5分。その間にいったん改札を出て「富士→品川」間の乗車券と「三島→品川」間の新幹線特急券を買った。トイレも行った気がする。5分以上かかった気がするけれど、ダイヤを調べる限りこれ以外ありえない。だから5分でこなしたのだろう。いつの間にそんな熟練者みたいなムーブをこなせるようになったのだろう。思えば僕は25歳ぐらいまで新幹線の乗り方も知らなかった。知ってしまったために多くの街に行くことができた。知らないものが多くあることを知った。もう元の自分には戻れない。片道切符なんですよ。もう15の夏は来ないしあの人と一緒にいる2022年はないんだ。三島行の列車に乗る度に思う。今僕は三島行男だと……。
1354 三島駅→(東海道新幹線)→1440 品川駅
ここでも1時間弱インプット。
品川駅で未払いだった運賃を払ってPASMOの入場記録を消してひと安心である。これで通常通りPASMOは使える。
こうしてインプットの奴隷は品川駅の雑踏の中に消えていった。
まとめ
後編のインプット時間。
・1600-1800(夕食前)
・2000-2100(夕食後)
・2300-0000(深夜)
・0700-0800(朝)
・1400-1440+α(新幹線+京急)
――約6時間。
前半と合わせて計約8時間である。
これを多いと取るか少ないと取るか。
個人的にはやはり休みの日にそんなに家で本読まない、ていうか家にいるときは家でしかできないことをしたいから必然的に読まない傾向になる。だから通勤の電車内で読むだけで1日に1時間弱しか読めない。そう考えると、2日で8時間は驚異である。
結論から言うと、インプット奴隷合宿はとても捗る。
読書する以外ない状態に自分を置くとこんなに読むことができる。
そして、それは読書するぞという意欲があるからより集中できるのだろう。
僕はまだまだ、観光したい欲が多くて(もちろんそこで得るものあるだろうが)奴隷としては初心者なのだと思い知らされる。そういった雑念を捨て去らないといけない。煩悩を捨てないと解脱できない、という言葉を思う度に僕は思う。煩悩を捨てたい、解脱したいと思うその心をこそ捨てねばならぬのではないか。煩悩を捨てたいという欲望を抱くことが人間の浅ましさであり、捨てないと次のステージには到達できなくて、そのためには捨てたいと思ってしまって、というループに突入する。その思考からの脱却こそが解脱の境地であるのだろうか。悟りを開こうとしているその行為には悟りを開きたいという思いが介在してそれは邪な思いではないかと思うしそれを捨てるなんて理解ができない。悟りは開こうとして開くのではなく、気づいたら開いていたというものなのか。わからない。この思考が雑念で無にならねばならない。でもやはり無になりたいという思いが……となってループが始まる。
その点道教あるいは老荘思想(道教と老荘思想は厳密にはイコールではないだろうが、ここでは仏教に対する存在として道教という言葉を引き合いに出している)では、自然のあるがままを説く。「自然」とは「自ずから然り」。あるがままのありかた。煩悩を捨てたいという雑念を抱くことはあるがままのかたちではないか? 修行をして悟りを開こうという行為は人為的で自然な形ではないように思う。老荘思想がそういうことを指しているのかはわからないが、僕には老子や荘子の考え方のほうがしっくりくるといつも思う。
もちろんどちらの思想も完全に理解しているわけではないし、どちらがいいとかそういう問題でもない。色々な考え方があって、東洋哲学の方がたぶん日本人には馴染みやすいのだろうが、西洋の価値観や考え方を学ぶのも面白いのである。今回キリスト教関連の本を主に読んでいたけれど、日本に生まれ育った身としては不思議な感じがあって非常に興味深かった。
また、一泊だけでもいいので奴隷したいと思った。その奴隷したいという思いが(以下略)。この思想を突き詰めていくと、奴隷したいからするのではなく、気づいたら奴隷になっていたにならないといけない。そして真の奴隷は合宿に行かなくてもどんな場所でもなりふり構わずインプットする機械と化すのだろう(真の奴隷ってなんだよ)。僕はまだまだ、身体の右半分が旅人で左半分が奴隷のキカイダーみたいな生き様なのだ。
さて、今回の奴隷紀という名の謎の文章もこれで終わりである。
次の巡礼地の候補は、上山温泉(山形県)、鳴子温泉(宮城県)、霧積温泉(群馬県)である。いつかインプット奴隷合宿の聖地、野沢温泉にもいきたいものである。
(終)
※いきなり尾崎豊になるのやめてもらっていいすか。
あと、『ふしぎなキリスト教』まじおもしろい。
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