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映画レビュー|「フランクおじさん」|宗教の功罪と自分の中のカッコつき女性性の発見について
ポール・ベタニー、ソフィア・リリス、ピーター・マクディッシ。この3人の演技が素晴らしかった。特にピーター・マクディッシのキャスティングはパーフェクト。彼以外はあり得ないんじゃないかというくらい魅力的なキャラクターを演じていたと思う。
フランクおじさんの辛い過去が物語のネックになっている。10代の出来事を46歳になってもずっと引きずっている。世の中には、どう角度を変えて見ても「起きなかった方がいい出来事」というものが存在する。その引き金を自らが引いてしまった時に、その人の人生はどのようにして救われるのだろう。もしくは自らの人生をどう肯定できるのだろう。
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」をみた時も同じことを考えた。
これまで幾度となく考えてきた事だけど、基本路線としてはやはり宗教や、その他何かへの信仰心というのが数少ない選択肢なのだと考えている。しかし、このフランクをずっと苦しめているものもまた宗教であるという虚しさを感じざるを得ない。
この映画を見ていると、ウォーリーに非常に心惹かれる自分がいる。彼の包容力やユーモアや、屈託のない笑顔は人としての魅力に溢れている。この包容力に身を任せたいと感じる自分に気づいた時、なんとなく自分の中に女性性を感じる。いや、それを女性っぽさと思う必要もなく、分厚くて安心できる何かに守られる小さな花のような、ひと時でもそのような、か弱い存在でいさせて欲しいと思っているのかもしれない。普段男性として生きている人間とっても、このような一面が同居していても全く不思議ではない。
ジェンダーのあり方それぞれに名前をつけて理解することも必要なことであるが、より根源的には男性の心、女性の心などというものは存在せず、人の心は多面的なものであり、どのような愛を求めようとも、地獄に落ちたりはしないと理解することが大切だと思う。