小さなわたし
実は私も、最近になって思い出して再開してるのですが、私が小学生の頃に始めた瞑想を紹介します。
本当は瞑想の準備段階という程度のものですが色々応用が効くし、何より楽しい遊びですので知っておいて損は無いです。
~~~先ず落ち着ける場所に座って目を閉じて、今自分が居る空間を、ボンヤリとでも良いので思い浮かべます。
たいていは自分の部屋だと思いますが、瞼の裏にいつもの見馴れた自分の部屋の風景が思い浮かんだら、その中の一点~座っている自分の目の前の床の上に、親指ほどの小さな自分を『出現』させます。
先ず、目の前の風景を小さな自分になって見てみる。
次に右の風景、左の風景。
いつも見ている本棚やテーブルが、親指ほどの自分にはグランドキャニオンの大渓谷や、マンハッタンの摩天楼のように聳えたって見えています。
振り返って見る。
座っている自分が居ます。
奈良の大仏様のように大きく見える。
小さな自分の身体を動かしてみます。
右足、左足、一歩づつ歩いてみる。
部屋の中を思う存分、探検してみましょう。。。。。
小学生の頃、この瞑想というか遊びに夢中になって最初は10分、次第に30分から1時間ほど毎日取り組んでいました。
『小さなわたし』は意識ですから、慣れてくれば物の中に入って行くこともできます。
目の前の植物の根から水分と一緒に細胞の中を通って上に昇って葉っぱの表面の気孔から顔を出して座っている自分を眺めたり。
絵や、水晶の中に入っていったり。
自分の身体の中に入っていって、『心臓の中にある秘密の小部屋』を訪ねたり。
小さなわたしを、脳の中の松果体に座らせ、そこから更に深い瞑想に入って行くこともできます。
瞑想は本来、目的があるものでは無く、あえて言うなら『永遠を知ること』が目的です。
ですが、この『小さなわたし』の瞑想から、様々な恩恵を得られることも確かです。
先ず、自分というものから距離ができてきて、徐々に客観的に見られるようになっていきます。
慣れてくると、日常生活をおくりながらスッと意識を自分の外側に居る『小さなわたし』へもっていくことも出来るようになります。
意識は、物質ではありませんので、このように同時に2つの場所、
『日常生活を送っている身体の中にいる私』
と、
『身体の外にいる小さなわたし』
にいることも可能なのです。
そうすると、
「なるほど自分はこんなときにこんな風に見えるのか。。。。」
と自分で自分を俯瞰した視点から見る事ができます。
私の場合は、毎日際どい綱渡りのような選択をしている自分を見ていてハラハラすることもあります。
いえ、決してそんなスリリングな日常を送ってる訳ではありません!
田舎の山の上でパートナーと犬と一緒に、どちらかというとノンビリした生活を送ってます。
けど、俯瞰した視点から見ていると、もしこの時に違う道を選んだら、今とは全く違う結果になっただろうということも何となく見えてくるので、自分が瞬間瞬間にベストを尽くしていることや、やはり何か大きな力や導きに守られていることを感じて、愛しさや感謝という感情がわいて来るのです。
この瞑想に何かコツのようなものがあるとすれば、
イメージを見ることにこだわり過ぎないということです。
集中し過ぎない。
どちらかというとリラックスして、
『ん、なんかこんな感じかな。。。。』
ぐらいの気分で。
ただの遊び、ゲーム感覚で、面白がって
『小さなわたし』
の瞑想を試してみてください。
やってみるほどに、世界が広がっていきます。