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垂直の恋愛関係

今までの人生で、武術や瞑想、神秘行などで沢山の師についてきましたが、一般の人が考える師と弟子の関係と、実際の師弟関係はかなり違うように感じます。

この世にある全ての師弟関係がそうだとは言いませんが、本来は、~ヨガや神秘行の世界だけでなく武術や職人の世界でも~師弟関係は恋愛に近いものなのです。

これはソウルメイトなどの男女の関係性や友情関係が平行な世界だとすると、師弟や親子の関係性は垂直の世界と言えると思います。

ひとつ例をあげると~
武術の世界では、弟子と生徒では明確な違いが有ります。

生徒というのは、師に教えを受ける事ができますが弟子は、基本的には教えを受けるということは有りません。

そのかわり、師と共に稽古し、傍に従い、食事し、会話する。

家族と同様の関係になるのです。

弟子は師とできる限り生活を共にする事で、師から言葉では伝えられない次元のものを受け取るのです。

これを「黙念師容」と言います。

これが本来の師弟関係で、少し昔なら職人の世界でも住み込みで、風呂で背中を流したり、着替えや食事の支度も弟子がやりました。

東洋だけでなく西洋にも、ダンスの世界、例えばバレエでは若く才能のあるダンサーがベテランを生涯のメンターとする制度が残っています。

今の私達が学校で教わった民主主義的な平等の価値観からすると、一見、封建主義的な師弟関係の世界は、
「ドウモ肌ニアワナイ。。。」
と感じられるかも知れません。

けど師と弟子の間にある愛情は、ときに親子や男女の愛情を超えるほどの深さがあると思います。

師と弟子と同じような垂直の世界の関係性に、
『神と人』
というのもあります。

今はほぼ失われてしまいましたが、神道の世界には、
『恋神愛人』
という言葉が有りました。

これは日本最古の武術『骨法』の宗家、故 堀辺正史師範から聞いた話ですが、古代の人たちは、手の動きで大自然のエネルギーや神のエネルギーを身体に取り入れる
『手乞い(てごい)』
というものを行っていたそうです。

「乞い」は「恋い」に通じます。

手乞いはやがて、舞踊や武術に発展し、「恋神愛人」の思想を生んだのですが、やがて神道が政治と結びついた時代、ときの支配層により今の神道にも残る「惟神(かむながら)」の思想と、その思想を正当化するためのテキスト「日本書紀」が編纂され、「恋神愛人」の思想と対立しました。

「恋神愛人」派の人達は、「日本書紀」に対抗し後世に「恋神愛人」の思想を残すために「万葉集」を編纂しました。

万葉集に恋の歌が多いのは、人との恋愛だけでなく神との恋愛を歌ったからです。

また、歌という形をとったのは「恋神愛人」の本質という言葉では伝えられないものを伝えるには、詩や歌という形式しか無かったためです。 

その後、「恋神愛人」派の人達は弾圧され、その思想は途絶え、今では極小数の人の間に細々と伝わるのみです。

しかし本来の日本古来の神道の本質は、
手乞い=手恋い、
神と人との垂直の恋愛関係にあるのです。

師と弟子との間に起こること。

人と神との間に起こること。

万葉集を編纂した人達が後世に残したかったもの。

恋愛という言い方ではピンと来ないかもしれませんが、別の言い方で「共振」と言っても良いと思います。

ネイティブ・アメリカンは恋愛の事を
「同じ歌を歌う」
とも言います。

共振は時空も次元も簡単に飛び超えて起こります。

万葉集の歌の1つに触れたとき。

古来の寺院や遺跡、神殿の壁面に彫られたレリーフに触れたとき。

踊りの振りや、武術のわざのたった1つの動作から。

突然、『古来からの愛のメッセージ』に身体が共振し、受け取る事があります。

アセンデッドマスターの名前1つ、神の名前1つでもそれは起こり得ます。

その為に必要なことは信仰心。。。では無く!

心を開くこと、無垢な心で無邪気に受け入れること。

平行な世界の関係性《ー》と、
垂直な世界の関係性《|》が合わさることで、
宇宙大に拡大する世界
《+》
十字架に象徴される霊的な次元の世界が開かれていきます。

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