『君たちはどう生きるか』ーシュールレアリスムから考えるジブリ
◾️シュールレアリスムとの出会い
去年の7月にポーラ美術館にいった際や、今年の1月に国立西洋美術でピカソを見てから、シュールレアリスムが気になっていたため、巌谷國士さんの『シュールレアリスムとは何か』を手に取りました。『シュールレアリスムとは何か』は、「シュールレアリスム」「メルヘン」「ユートピア」の3部構成になっており、特に「シュールレアリスム」の中では、アンドレ・ブルトンの自動記述を中心に、現実から生まれる強度な現実がシュールレアリスムであるということが述べられていました。
シュールレアリスムとは、突発的なおかしなものという日本語の「シュール」とは異なり、現実から生まれるもしくは現実に潜む強度な現実と述べられています。高速な自動記述(オートマティスム)を行うと、主語や動詞のないオブジェクトだけの世界が記述されるそうです。つまり、ふとしたときや白昼夢の中で、個人に現実の延長上に訪れる世界がシュールレアリスムと言えそうです。
◾️『君たちはどう生きるか』と『不思議の国のアリス』(本編の内容を含みます。)
そんな中で、宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』を見てきました。私は、ジブリに精通している訳ではなく、ジブリに関する知識はほとんどないのですが…。
映画の内容を簡単にまとめると、おそらく戦時下で疎開してきた主人公の男の子が、喋るアオサギに導かれ家の近くの森の中にある、洋館に足を踏み入れます。そこからは不思議な出来事に巻き込まれながら、最終的に洋館の外に出て、日常生活に戻っていく話です。
最初から「なんか『不思議の国のアリス』に似てるな」と感じていました。家の近くにある森の存在。その中にある不思議な洋館。喋るオウムたちや魔法。個人的には主人公の少年の感情があまり描かれていない(表情が変わらない)ような印象も受けました。『不思議の国のアリス』の中では、皆さんがご存知の通り、森の中の穴に入っていったり、ウサギや鳥が喋ったりします。不思議な場所に向かう入り口となってる森や地面の穴、喋る動物など、共通点を感じました。
◾️「メルヘン」とは何か?
巌谷国士に話を戻して、彼が「メルヘン」をどのように捉えているのかを見ていきましょう。巌谷国士は「メルヘン」の和訳として「おとぎばなし」という言葉をお持ちいます。おとぎばなしの特徴をいくつか引用してみます。
まずは、おとぎばなしの大きな特徴についてです。
おとぎばなしは、主人公が物語の動員なのではなく、むしろ物語そのものが物語の動員であり、そこに巻き込まれる形で主人公が位置します。そのため、主人公の意思や意図は明確に記述されることはありません。これは「主語や述語の存在しないオブジェクトだけの世界」というシュールレアリスムの特徴と一致しています。私が、『君たちはどう生きるか』の中で感じた、主人公の感情描写の少なさはここと合致しそうです。
次に、「メルヘン」における森と旅の関係です。
これらのように、巌谷は「森」と「旅」を「メルヘン」の特徴と述べています。森の中で起こる日常的な現実とは違う現実。そこでおこる奇怪な出来事は、『君たちはどう生きるか』の洋館の中で起こる様々な出来事を言い当てているような気がしています。その洋館の中で「旅」をした少年は、最後に自分の弱さを自認するシーンがあります。これはまさにここで述べられている「旅」の意味と一致しそうです。
◾️最後に
今回は『君たちはどう生きるか』を「メルヘン」のモチーフである「森」や「旅」の描写からそれらの共通点を考えてみました。ジブリ作品から感じられる、どこか懐かしい雰囲気や、何か我々にとって大切なことを述べている感じは、「メルヘン(おとぎばなし)」とどこか通じていることがあるのではないでしょうか。
主語や述語が消失したオブジェクトだけの世界、つまりストーリー性が希薄で、感情描写が少ない。人によっては、理解しにくかったり不安な気持ちになったり、ちょっと気持ち悪かったりするかもしれません。個人的にはとても楽しめました。
この感想は、あくまで映画の1つの側面を切り取って述べたものになっております。
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