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中世の出産帯の正体は?

医学の発達した現代においても、妊娠出産は、母子の命を危険にさらす難行です。ましてや、数百年以上前の過去においてはもっと大変なことだったと推測されます。そうした、生命の誕生と隣り合わせの危機である妊娠出産に際して、過去の人びとがどのような備えで臨んでいたかを調べられれば、ヒトの生命観や生きざまがどのように変化してきたかを知ることができます。

しかし、そうした研究は、社会階層やジェンダーによる不平等の影響を強く受けます。権威者や男性が妊娠出産について記した文書は歴史記録のなかにも見つかりますが、過去の女性自身が妊娠出産や自身の身体について記した記録はほとんど残されていないのが常です。したがって、過去の女性が経験した妊娠出産の実態を直接復元するためには、実際に使用されていた遺物や、当時の生きざまが刻まれた古人骨を分析する必要があります。


中世の出産帯

そうした妊娠出産に関わる遺物として、中世ヨーロッパの「出産帯」というものがあります。安産祈願のために妊産婦の腹に巻かれたと考えられている帯 (図1) で、キリスト教の女性聖人の図像や祈りの文言などが描かれています。革をはじめ、紙や絹や金属などさまざまな素材のものがあります。

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図1. 出産帯の推測される巻き方 (文献*1より転載: CC-BY)

出産帯は、イングランドでは15世紀頃に用いられていたようです。しかし、16世紀の宗教改革に関連して、女性聖人の崇拝に関連する施設や物品が狙われ、多くの出産帯はこのときに破壊されてしまったと考えられています。繰り返し使われたと考えられ、使用時に摩耗することもあって、現存する出産帯は多くはありません。

また、傷の手当などに使われた可能性も考えられるため、出産帯は必ずしも妊娠出産時に使われたとは限らないと主張する研究者もいました。出産帯が本当に妊産婦のために使われていたのか? また、もしそうであるなら、中世の妊娠出産習俗に関してどのような記録を保持しているのか? そうしたことはこれまで未解明でした。


タンパク質が明かす中世の妊娠出産

今回紹介する研究では、Fiddyment博士たちの研究グループが、15世紀の中世イングランドで使用されていたと考えられる革製の出産帯1点 (MS. 632) を古代プロテオミクス分析し (参考: 狩猟は男性の仕事?チベットのデニソワ人)、当時の妊娠出産習俗を明らかにしました*1。この出産帯には宗教的な図像や文言が描かれているほか、体液と思われる染みや繰り返しさすったと考えられるこすり傷など、実際に使用された痕跡が残っています (図2)。

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図2. 出産帯に描かれた図像やこすり傷 (文献*1より転載: CC-BY)

この出産帯から8点のサンプルが採取され、出産帯ではない皮紙をネガティブコントロールとして含め、存在するタンパク質を網羅的に同定する古代プロテオミクス分析がなされました。その結果、出産帯の染みの部分からは頸管膣分泌液に由来するタンパク質が多く検出され、たしかに出産時の女性が腹部に巻いていたものだったと推定されました。また、この出産帯はヒツジの皮で作られていることもわかりました。

さらに、この出産帯からは、ハチミツ、ヤギまたはヒツジの乳、鶏卵、マメ、ムギなどの穀物のタンパク質もみつかりました。中世イングランドでは、こうした食物は妊娠出産にかかわる治療薬的な使われ方をすることがありました。歴史文献をひもとくと、ハチミツや鶏卵などは、薬草と混ぜ合わされたりして、産後の回復を早めるために膣や子宮に挿入されていたこともあったようです。

この研究の結果、出産帯はたしかに妊娠出産時の女性に使われていたことが確認できました。また、ハチミツなどが食品や薬として使われていたこともわかりました。そうした事実の一部は歴史文献の研究からも明らかにされていましたが、マメ類や穀物などが妊産婦に塗布されたり盛んに食べられていたりした可能性があることはこれまであまりわかっていませんでした。


おわりに

歴史文書を残すのは社会階層の高い人であったり男性が主だったりするため、過去の庶民の日々の暮らしや女性特有のライフイベントについてはわかっていないことが多い場合があります。現代まで残存したモノである遺物に最先端の分析を適用することで、そうした人びとの生きざまを明らかにできるのです。
(執筆者: ぬかづき)


*1 Fiddyment S, Goodison NJ, Brenner E, Signorello S, Price K, Collins MJ. 2021. Girding the loins? Direct evidence of the use of a medieval parchment birthing girdle from biomolecular analysis. R Soc Open Sci 8:202055.


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