瞑想 その奥・・・
以前「瞑想に意味を持たせることなく、瞑想をすることによって何か(期待する)ことなくただシンプルに(瞑想しよう)というシンプルな気持ちでのぞむべきだ」というDr Ladの言葉を共有しました。
補足します。
もし自分自身で「心が楽になるために瞑想をしよう」とか(意図)をして瞑想をしようとしたのならば
自分で(人生をコントロールしよう)というその瞬間、人生は人生の自発性を失います。
心が楽になるために瞑想をしようと思った時、心が楽になっていない状況、環境、対象などが意識にあがってきて瞑想が邪魔されて瞑想の価値が下がります。
目的は期待であり、期待は欲望です。この欲望によって人生そのものの自発性を失うということなのです。
瞑想は癒しに有効であり、そのために使用するのは問題ないのですが
ただそれだけ、のために使用するのは勿体ないことであるとDr Ladはいうのです。
森の中で美しい木々や雲を見て、鳥の歌声を長距離、長時間聞いていると歩いているその動作自体がリラックスと喜びになります。
そして
あなたが予期せずに瞑想するなら、あなたは予期せずに愛し始めます。
予期せずに誰かを愛することは最大の愛です。
動機のない、ほんの一瞬のその1つのアクションが、変革をもたらします。とのことです。
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