遠慮しちゃう気持ち 期待しちゃう気持ち
「こんなはずじゃなかったのにぃ!」
「アイツに裏切られた!」
言いたくなる気持ち、分からないでもありません。
でも、ちょっと考えてください。
あなたはお相手の気持ちに少しでも応えてましたか?
どこかで相手に寄りかかりすぎて何かを取ることばかり考えていませんでしたか?
逆に、あなたが控えめに接していて相手の好意を「そんな…大丈夫」と断っていませんでしたか?
期待と遠慮は正反対。期待は一方通行の行為。遠慮は文字の通り相手を慮って自分の気持ちを遠ざける行為。
どちらがいいのか?
私は遠慮することばかりしてきました。相手から頼まれることは返してきましたが、私から何かを頼むことはしませんでした。相手の好意も素直に受け取れず、どこかひねくれた考えを持ってしまいました。それは「もう誰も期待しない、頼らない」ということです。
自分ひとりでやっていけばいい!
ですが、この考えって頭の中に頑固にこびりついたエゴだったりして?
そう考えるようになったのはつい最近のこと。
遠慮をするということは、自分の腹を割っていないのです。吐く言葉すべてが相手に迷惑にならないようにしているので、自分のホントの気持ちのようでどこか我慢している嘘なのです。
極度に人を傷つけることを恐れていると、これに陥りやすくて、逆に遠慮なく人に傷つけられた時には人の何倍も傷ついてしまう。
「控えめの恥ずかしがり屋」はホントに損をしています。ズケズケと相手の領域へ踏み込んで行けとは言いませんが「ちょっと上がらせていただきます」くらいで相手のココロにお邪魔してみるくらいいいじゃないですか。
以前「相手の気持ちへは土足厳禁」と書きました。ちゃんと靴を脱いで、相手が用意してくれたスリッパを履いてお邪魔すればいいんです。素足でも誰かの家にお邪魔するときは靴下は履いているはず。これは気持ちのお話として。
さてさて、その逆。期待とは本来どういうことでしょうか?
私は一種の甘えのように捉えていました。悪く言ってしまうと「人任せ」な気がして。相手に自分の重たい気持ちや注文を背負わさせるだけ背負わせて、自分は手ぶらで進むみたいなように感じていました。カップルの買い物で彼氏が彼女の買い物した紙袋を全部持っていて、当の彼女は手ぶらみたいな。(最近は女性もそれはイヤだと言いますが)
確かにそういう人も中にはいます。
ですが本来、期待しちゃう・期待を背負うって「お互いの荷物を見て、『あ、俺、オマエのこの荷物持ってってやるよ』と相手と自分が理解して分け合って一緒に背負うものではないでしょうか?
期待する気持ちには相手に対して「自分にはできない・自分が欲しい何かを相手が持っている」という気持ちの要素があります。
期待も遠慮と同じく、いや遠慮より距離はものすごく近くて一方通行ではない慮りの気持ちがあってこそ成立するものなのです。
ただ、むやみやたらに何でも!はダメな気がします。おまかせと言われたのに、相手に文句を言われたらたまったもんじゃありません。「おまかせと言っただろ!」と。
期待と遠慮、どちらにしても「相手への信頼」という言葉がキーワードになってきます。
その第一歩はどうすればいいのでしょうか?
それは相手を自分が必要として、相手も自分を必要だと思ってもらうことが肝心です。
自分を必要としてもらうためには、相手に気を遣わせない・気を配る言動をしないと見事に相手は何もしてくれなくなるんです。それを何の気なしにお互いが相手にできると、期待も遠慮も自然にできる関係に。それがさっき言った靴下もしくは相手の家のスリッパで相手の気持ちにお邪魔するということなんです。
そして、相手に対して過去の人間関係においての未練タラタラな気持ちや態度を持ち込まないこと。タラタラな人はいっつも俺(私)とその人を比べている。で、その人よりも良くなかったら、また「あの人は良かった・ああしてくれた!」とタラタラ私が文句を言われる。「私はそうじゃない!」と接していても隠せないものがチラチラ見えていますよ! もうそんなことわかっているんですよ! それを承知で相手はあなたに接してくれているんです。今現在のお相手への感謝を素直にあらわしましょうよ!
先日、私自身も支援員の方に対して、我慢している嘘をやめました。肩の力が抜ける感覚がしました。
日々、事業所のみなさんも肩に力が入っては、話すことでガス抜きをして表現という名の作業へ。
「ギブ&ギブ」でとの支援員の方の言葉。
おそらくそれが、一番潔くてあと腐れなく誰も傷つけない余裕がある行動なんでしょうね。
【執筆:Oneness A 年がら年中IceCoffee】