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いじられる人にも家族がいるんだからな

最近、フジテレビの新人男性アナウンサーへの先輩イジリがニュースになっている。

ハラスメントがはびこる今の日本。

昔なら許された言動が、今はNG。

私は個人的に「言葉選び」に気をつけています。

どんな人に対しても、一定の距離感を持っていれば、言葉が乱れることはない。

親しい関係性を築けている親友でも、フレンドリーに接しても、越えてはならない一線がある。

そう自覚して人と接しています。

いじられやすいキャラというのはいじる側が完全にその人を下に見て見くびっていると感じます。

「あんたがどれだけすごいのかは知らねえけどさ!」といじられた方は言いたくもなる。


昔から女性蔑視も叫ばれる中、近年では男性軽視も叫ばれるようになった。

そもそも二つとも「女性らしさ」「男らしさ」を基準にしてそれに満たない人は差別や軽く見られるということ。

でも、そもそも「女性らしさ」「男らしさ」って何でしょう?

私にはサッパリわかりません。

男勝りな女性もいれば、女性顔負けのおしとやかな男性もいる。この世には当然のようにいろんな人がいます。

いわゆるイジリと女性蔑視と男性軽視も見た目から判ることでしかできていない。

それで、人間性や性格、挙句のはてには能力まで否定してくるのだから、たまったもんじゃない!

しかし、これは誰でも幼い頃に植え付けられて育ってしまった、ひとりよがりな価値観や思考がイジリの言葉を生む。

むしろ、その人の品や育ちがもろにイジリ発言で露わになって出てくるのではなかろうか。

だけど、イジリも私が初めてNoteを書いた時の最後の注意書きとして書いたけど「意見には個人差があります」なのだ。

そのイジリの言葉や意見がすべての人の総意ではないのです。

ただ、誰かがいじったとして他の誰かが「そうそう〇〇だよね」と焚きつけられたらさらにめんどくさくなる。

これが、イジメの構図であり、イジリからイジメに変わる始まりかもしれない。

だったら、反撃したらいいんです。いじってくる人は自分がいじられることを極端に嫌う傾向があります。

昔、私も若い頃いじられて、いてもたってもいられず反撃。約1分間、相手をまくしたてて。

すると、やり返された方は「もうやめて! 悪かった」と私のまくしたてイジリに両手を挙げました。

過去にいじめられっ子だった自分からすると、ずいぶんと進歩しました。

私が人と接するときにお手本にしている方がいる。

以前も取り上げた萩本欽一さん。欽ちゃん。それも『仮装大賞』のときの欽ちゃんです。

欽ちゃんはいわゆる「素人イジリ」を初めてテレビでやったコメディアン。

でも、欽ちゃんの根底には優しさと愛情がありました。

なぜそう言えるのかというと、言葉が的確で素人さんを輝かせるイジリなのです。

いじる対象をけなしていないのです。「自分はさておき」なんです。

そして、必ずそこには近しく接しているようで近しくはない距離感が存在しています。

現に欽ちゃんは「素人さんは笑いの天才だ!」とおっしゃっています。

欽ちゃんの他にも、明石家さんまさんやビートたけしさんもおんなじです。

どうしても、人は人をいじるときに相手をけなそうとします。

それじゃ、ただのイジメです。


まず、自分を下げて自虐で笑いを取れる人は人を傷つけるようないじりはしません。

もし、いじりたくなったら、最初に自分の手の内と腹を見せてからです。

それプラス、いじる人といじられる人との関係性があっての話。

そんな誰かをイジるとは程遠いわが事業所にて、今日もせっせと自分のできることを尊重して好きに表現しております。

【執筆:Oneness A 年がら年中IceCoffee】