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人の心へは土足厳禁 ここちいい距離をはかって

なかなか、自分をコントロールするのも難しいですね。私は毎日報酬型の生き方をしています。
何かやらなければいけないことをやり終えたら、食べたいものをひとつ食べる。それだけでも結構気持ちは上がりますし安定します。
人で満たされたいと思う人もいるかもしれませんが、なかなかそれは難しいのです。相手にも「動く心」があるものですから。
今日は作業ができないとこの事業所を休まれる方もいますが、休むことは本意ではありません。できれば出勤して何かできれば…、でも、なかなか心と体が言うこと聞かないなあ…と揺れているんです。。
今回はそんなことを感じ取った、この犬山紙子さん夫婦の記事からああだこうだ考えていきます。

◎「声が出ない…」ネットで追い詰められて不安症になった私と、夫の支え/犬山紙子

8/7(水) 8:46配信
【出典 女子SPA!】

【3ページ目の抜粋】

お互い、心の病になって得たものがある
――つまり、ふたりの間に大きな愛情や信頼関係があったからこそ、乗り越えられた、と。

犬山:ただ、これは程度だったり症状による部分もあるので、あくまで「私たち夫婦の場合は」という話かと思います。でもやっぱり、いざというときにお互いを信頼したままでいられるのはそれまでの日常が本当に大切なんだよなと。これが夫に毎日「なんで家事全然しねーんだよ!」みたいにキレてたら違っていたかもしれません。

劔:僕の場合は、「僕が人と違う」っていうのを学ぼうとしてくれる人(=妻)によって非常に助けられている部分はあるのかなと思ってます。人とはちょっと違うって感覚をもって生きている人って、なかなか理解されないじゃないですか。

何か不都合があったときに詰め続ける人だったら、僕は潰れてしまっていたと思うんですよ。

犬山:私は、うつもひと括りにできないということを痛感しました。共通しているのはきっちりとプロに頼って、第三者の力を借りる、ということですね。今となっては、なぜもっと早く夫を心療内科に連れていけなかったのか、なぜもっと早く私の怒りっぽさを問題視してカウンセリングを受けなかったのかと思います。

お互いの精神疾患と向き合った先にも「幸せ」ってのはちゃんとあります。そうした時期を過ごすことで、この先何かあっても支え合っていけるなあって土壌が整ったわけです。

普段から意識しておきたいヒント
1.5人に1人が生涯で精神疾患になるということを知っておく。パートナーがなるかもしれないという心算で、お互い知識を持ち、共有しておくこと。

2.メンタルケアにおいて認知行動療法は効果がある人も多く、エビデンスもある。うつでなくても知っておくとよい。

3.SNSは通知を切ることができる。それだけでもストレス軽減になる

<文/犬山紙子 イラスト/劔樹人>

【犬山紙子】
1981年生まれ。エッセイスト、コメンテーター等としてTV出演も多数。著書に『私、子ども欲しいかもしれない。』『すべての夫婦には問題があり、すべての問題には解決策がある』など。2014年に劔樹人さん(ベーシスト、漫画家)と結婚。長女の誕生を期に、2018年、児童虐待防止チーム #こどものいのちはこどものもの を発足

(※本文すべては以下のURLにて)

【記事URL https://news.yahoo.co.jp/articles/c17157158b6bc5139ec2acfea29e7354c3c975b0】

【今回のああだこうだ】

私は1年ちょっと前まで、ガラケーでした。しかし、仕事上「いい加減、スマホにしてください」とのことでスマホに。
逆に今はスマホじゃないと、他の人に迷惑がかかるとのこと。
しかし、実際仕事上でスマホが必要じゃなかったら、私はガラケーで十分なんです。

LINEもそんなに送らないし(1~2週間出さないなんて私は普通で)通話とメールができればOKで。
パソコンも主に原稿書きかメールのやり取りかYouTubeくらい。

ある程度、そういうものと距離を作ってうまく付き合わないとダメな気がしています。
電車で見かける、みんながみんなスマホを手に取って見ている光景。私、どうしても異様に感じます。(私はウォークマンで音楽を聴きながらボンヤリしてます)
何か自分のひとつの窓口を開けておきたいのかもしれませんが…。

距離を取るという行為を私自身していないと、完全に疲れて潰れてしまいます。
それは、ひとりの時間や空間を大切にして過ごさないとつらくなってくるのです。
正直、そっとしておいてほしいのです。

「自分と他者やモノとの付き合い方」の難しさは現代において最も難しいものになっている気がします。
例えば、アイドルとファン。昔は雲の上の存在だったアイドルが今や距離が近く身近な存在へ。
それはそれでいいこともあります。でも、私は弊害やトラブルが頻発するのではないかと思います。
昔はおいそれと近づけない距離・遠くから見ているだけでよかった距離がありました。それが壊されてしまった今、ファンというもののカタチが変化してしまいました。
私個人「あなたの恋人でも友達でもないんだからさぁ」とツッコミを入れたくなります。

ホントに近い距離には危険性があり、人を狂わせてしまう可能性もあります。
自分は距離を取りたいのに、相手が距離を詰めてきて「逃してなるものか!」と。
逃げたいのに逃がしてくれない。それが私の一番の人間関係に関するストレスです。今までほとんど私は逃げたい立場でそういう経験をしてきました。(何が何でも!と思って人を追っかけたこともないですし)
すると、どうなるか? その経験の怖さがあるから、ほとんどの人と大きめの距離を取り、仲良くなろうとはしなくなるのです。自分のテリトリーに人を入れなくなるのです。
ただ例外的に自分のテリトリーに入れる人もいます。その今でも付き合いがあり大切な人たちに共通するのは「土足では入ってこないし、私も土足で入らない」です。(ただ、土足を許している良き友人もいます)
おととい(前回の記事)で「土足で相手に踏み込まない『配慮』という優しさ」と書きましたが、まさにそれです。それには相手を否定しない優しさや想像力も含まれています。
土足で入ってくる人は気が大きくなっていき、次第に相手を否定し始めていきます。そして、相手のテリトリーの床に大きくゴロンと寝転びます。それが「配慮」が無くなるということです。残念ながら、土足で入ってくる人はその行為を相手がもう許してくれていると思い、また相手と仲良くなれたと勘違いしているのです。土足で入ってくる人はどんどん尊大になり、ワガママ放題です。
「土足でOK」ってことは、段階を踏んで許していくもの。はじめから許すものではありません。
犬山さん夫婦もおそらく、いきなりではなく、さまざまな段階を踏んで、夫婦になり、助け合える関係性を築いたのでしょう。

まず、相手が初めから土足なら、あなたは遠慮せず逃げてください。

そんな影響もあって、心が不安定になっていくのは不本意なはずです。相手をさせられたあなたのせいではありませんよ。

とにもかくにも、SNSであろうが、直で顔を合わせようが、初めっから土足は厳禁ですよ。

【執筆:Oneness A 年がら年中IceCoffee】