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不安のど真ん中に宝が眠っている

 昨晩、暑さで体が重い私は近所のスーパーへ。600円だけ持って。すると、入ってすぐ右に「サッポロ一番塩ラーメン5食パック」が333円!
「しまった!」
 私の大好物がこんなに安く売られていることはまずないんです。泣く泣く一袋だけ。2000円くらい持っていたら、間違いなく3パックは買っていました。
 小さなことですが、私にとっては痛恨のミス。
「しまった!」とならないためにも、準備は必要ですね。準備して「しまった!」となっても、カバーはできますよね。
 私たち事業所のみなさんもぬかりなく作業するために、確認を怠らず、着実に作り上げることを日々丁寧にしています。

 さて、今回は以下の記事から「失敗」というワードについての「ああだこうだ」です。
 ぜひ、最後までご一読ください。
 

◎「失敗学」の畑村洋太郎氏(83歳)が断言「よい老後は『失敗』から生まれます」

「失敗はいつか起こるもの」

どれだけ注意していても、こちらの対策をすり抜けるようにして起こるのが失敗です。しかし「失敗はいつか起こるもの」と思って備えを怠らなければ、予想外の失敗であっても被害を軽減できます。大事を避けるためには、地道な努力を続けていくしかないのです。

ただし致命的な失敗を避けようと意識するあまり、老後を楽しめなくなっては本末転倒でしょう。むしろ年齢を重ねてこそ新しい発見があります。

人間は年を取ると無意識の影響が大きくなっていくそうですが、意識していない脳の働きを「勝手脳」と呼んでいます。70代のころ、この勝手脳を強く感じる出来事がありました。

スペインでピカソの『ゲルニカ』を鑑賞したとき、絵に圧倒されてしばらくその場から動けなくなったのです。絵画にさほど興味がない私がそうなったのは、おそらく勝手脳が意識と無関係に働き、難解な絵を解釈しようとしたからだと考えています。70代にして初めて名画が持つパワーを感じた、とても豊かな経験でした。

たしかに年齢とともに、ちょっとした失敗が大きなダメージをもたらす可能性は高まります。しかしいくつになってもこうした新鮮な体験が待ち受けているかと思うと、加齢も悪いことばかりではありません。致命的な失敗を避けつつ失敗から学ぶことこそ、より充実した老後を楽しむ秘訣ではないでしょうか。

(はたむら・ようたろう/1941年、東京都生まれ。日立製作所、東京大学教授などを経て現職。著書に『失敗学のすすめ』『老いの失敗学』など)

「週刊現代」2024年8月10・17日合併号より

【記事URL https://news.yahoo.co.jp/articles/7e36bbf79793d9ee8eb71f1cd28abb11f47bb770】

人は無意識に「失敗したとき」のことばかり考えて行動してしまう癖があります。
どうやら本来、人間は「ネガティブ」なんだそうで。
だから「備えあれば憂いなし」という言葉が昔からあるのでしょう。ましてや最近、南海トラフ地震注意情報も出された時の防災の準備をできるだけして過ごす緊張感もそのたぐいでしょう。
最悪の事態は免れたい。でも、実際起こってみないとわからない。
支援災害以外で言えば、身近なことをするその前に失敗を恐れて何もしない方もいます。

昔、サイコロトークでおなじみだったフジテレビの『ごきげんよう』という番組で片岡鶴太郎さんが「60代以降はこう生きたい!」という言葉をおっしゃっていました。
それは「案山子(かかし)を攻めろ!」です。
案山子は田んぼに立って鳥を追い払うためにいる。それは、田んぼの稲は人間様にとっての宝だから。
言い換えると「怖いものや場所には、宝がある」ということ。
鶴太郎さんもされていたボクシングも少しでも離れてバランスを崩すと一気にパンチを食らい、ダウンを取られる。
名俳優の勝新太郎さんは鶴太郎さんがお話しされたボクシングの同じ状況を居合道でなぜ斬られるか?を表しています。「離れているから斬られるんです。斬られる宇宙にいるんです」と。
そうならないためには、相手の内(中)に入っていくことが一番パンチを受けないし、居合でも斬られないのだと。
カヌーでも激流があったらそのど真ん中を行く方が、一気に行ける。それを避けようとしていると転覆する。
「いやだなあと思っても、相手や何かのど真ん中・中へ入ってしまえ!」これがおふたりの言う、失敗しない、失敗してもダメージが少ない生き方の姿勢なのです。
私も経験がアリ。学生時代、報道局で仕事をしていた時に緊急ニュースが。緊急報道特番が組まれ、私はフロアディレクターをチーフDから任されました。
「いつ放送終了するかわからないし、いやだなあ」と思ってはいたまま、ドーンと渦中に飛び込んでみました。闘い闘い闘い抜いて、気づくんです。「これ、流れに身を任せて、その時その時に判断を下して動けばいい!」と。
そして終わってしまったら「あれ、こんなもんだったの?」とあっけらかんとしていました。もちろんそのときに取り上げたニュースの中身の残虐性は高くてちょっと心が暗くなってしまうにしても。「もう何でも来い!」と腹を括ったら、恐怖より「よーし、仕切ってやる!」という自信のほうが勝っていました。
これはもう、動物としての本能。理性では割り切れず怯えてしまいそうになる現実に向かうには、頭だけでは理解が追い付かないんです。動物的勘と皮膚感覚。知らぬ間に前のめり。臨戦態勢。まさにど真ん中に入っていく感覚。
私のこの経験は今でも未知のものをしなければいけないときの良いガソリンになっています。まさに私の「宝の経験」でした。

頭でっかちで理屈や理性ばかりが働くと失敗を思い描きやすく、とっさに思い通りに脳も体が動かない時があります。その前にあきらめてしまうことも。それはとてももったいないことです。失敗でも動物としての本能と脳を使ってカラダも動けば、対象に対しての輪郭が見えてきて、どうすればいいのかの感覚もハッキリして修正や失敗のカバーができていきます。

ど真ん中へ入っていって文章を書いている私も、書いている途中に次はこれを書けばいいかな?と勝手に浮かんできて書き続けています。書きながら急に引き出しから「あ、これ書けばいいんだ!」と。もう、それは皮膚感覚です。が、ちゃんと理性や理屈も働いています。感覚をどの言葉を使って、どんな構成で書こうかを。これとこれの間にこの話を入れればなどなど。そうやって手を尽くしても、満足はなかなかできません。失敗やなあと思うこともあります。
この事業所で何かをつくる利用者さんも、そう感じています。

ただハッキリしているのは、「挑戦を続ける」ことが失敗からも学べる唯一の行動なのではないでしょうか?
あれこれ自分に言い訳しないで、さあ、いっちょやってみましょう!
たまにゃあ、ちゃんとゆっくりすることもしながら。

【執筆:Oneness A 年がら年中IceCoffee】