見出し画像

ネガティブな思考パターン

今日は朝に、大学の図書館で借りていた本を返却しましたが、1冊だけ期限切れになっていて私は絶望しました。ちょっとしたペナルティがあるだけなので、大した問題はないのですが、「返却期限さえ守れない無能人間だ」とものすごく落ち込みました…。

頭で大したことないとわかっていても、自分に大丈夫だと言い聞かせても、あまり効果はないんですよね。些細なことでこの世の終わりかと思えるほどに絶望できるのは、もはや私の才能なんでしょうか。

心の表層にあり、自分の意志とは関係なく、意識にポンと飛び出してくるものを自動思考といいます。私はこの自動思考というものがネガティブすぎるのかなあ…と思います。極端にネガティブな自動思考だと、推論の仕方が誤っている場合が多いです。

いろんな例があります。

例1:抑うつ状態の会社員が、仕事をテキパキこなしている同僚を見て、「自分は無能な人間。会社にいる価値はない。」と思う。

例2:友達が年賀状を送ってこなかっただけで、友達は自分のことを嫌いになったと推論する。

例3:もし、私が運転免許を取らないようにアドバイスしておけば、彼は交通事故で死ななかったのに…と考える。

例4:完全なダイエットができなければ、まったくできないことと同じだと考える。

これに全部共感できる人は、結構認知の歪みが生じているのではないかと思います。心理学の教科書に載っていたものですが、私は全部わかるなあ…と思いました。今は、認知行動療法について勉強していますが、考え方の癖を直すのは難しそうだなあ…と思っています。

心が変われば態度が変わる
態度が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
運命が変われば人生が変わる

これは有名な言い回しですよね。そんなに簡単にうまく行ったら、みんな自分の人生を自由に謳歌できていると思います…。現実はそうじゃないので、所詮綺麗事であり、ただの理想論ではないかと私は思ってしまいます。すべてのことが綺麗事に思えてくるんです。

ネガティブ思考だと、最悪の事態を想定できたり、物事に慎重に取り組めたり、現実的な視点で本質を見抜けたりするので、それらはメリットになり得ます。でも、ネガティブ思考というのは終わりがないものだし、ぐるぐる考え続けてしまいやすいです。だから、とても疲れやすいし、精神的な負担にもなります。

ポジティブな人は、どうして楽観的に物事を捉えられるのか、ネガティブ人間の私の目には不思議に映ります。どうすれば、失敗や困難を一時的なものとして捉え、学びや成長の機会と考えられるんでしょうか。その視点が持てれば、ストレスを減らし、よりよい結果を引き寄せることができるかもしれないそうです。

私はネガティブゆえに自分を責めて攻撃することになってしまうので、もう心が痛いです。痛いのは辛いし苦しいです。でも、負のスパイラルから抜け出せません…。私は誰かに許してもらわないと、自分で判断できないし、行動もできません。許しが必要なんです。自由であるはずなのに、自分で不自由な状態にしてしまうことがもうわけがわかりません。私は自由でありたいです。

いいなと思ったら応援しよう!