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底をついた自己評価
自己評価が低いと言われた。自分に対してとても辛辣だと言われた。あなたの悪いところはどこも見つからないと言われた。あなたのせいじゃないから自分を責めないでと言われた。
……ごめんなさい。自分でも何となくわかっている。だけど、そう言われても私は変われなかった。今もずっとそのままなんだ。無価値感、劣等感、虚無感、自責の念にいつも覆い包まれているのが私。
私は自分がものすごく嫌いなんだと思う。具体的にどこが嫌いなのかはよくわからない。ただ自分という存在を自分で呪うようになってしまった。自己という地盤がグラグラしていて、すごく不安定。自己嫌悪の感情が自分の中の深淵にまで染みわたっているから、好きになりようもない。
できることを増やして優秀な人になっても、人に好かれる自分になっても、私が自分のことを好きになれなかった。他者評価を高めても自己評価はちっとも高くはならない。自分と他者間での評価のギャップが大きくなって、混乱し疲弊してしまうだけだった。私のことを高く評価しないでほしい…と思ってしまう。私は――なんでもない人。本当になんでもないの。
私のことを好きになられても、いつも困ってきた。自分でとても嫌っている私のことを好きになられると、「この人はこんな私のことが好き=私が嫌いな人のことを好いている→理解できない…」となる。「私なんかをあなたが好きになるはずがない。私はあなたに好かれるような人じゃない。だって、あなたは私よりずっとずっと素敵な人だから…」となる。
私の中にある強い自己嫌悪感情が否定されるようで、気持ち悪くなってしまう。なぜ私なのか?私のどこがいいの?私じゃなくてもいいだろうに…というので、頭がいっぱいになる。なんて面倒くさいんだろう……。私はもう否定しか受けつけなくなってしまったのかもしれない。肯定がどうしても受け入れられないの。否定されると、もはや安心する。
不器用な自分もまた自分。不出来な自分もまた自分。他人から愛されなくても、それもまた愛すべき自分?そんな自分を丸ごと愛せるのは、多分自分だけ…。どんなあなたも肯定するよと言ってあげられるのは自分だけ…なのかな…?私はそんなことできないと思う。
私の自己評価は底をついてしまったよう。他者から褒められたとしても、「そんなことないですよ」と謙遜することが避けられない。内心では「私はあなたが思っているような人じゃないんです。だから、褒めるのはやめてください。私のことを誤解しないでください。いい迷惑です。」としか思えない。
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しい。」…って、心の底から思えたことなんてあったかなあ…。これからもないのかもしれない。